徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

松山市北条辻の鹿島にて(その2)

鹿島港に着くと港の周囲に集まった数人が対岸を見つめている。
複数の消防車のサイレンの音も聞こえてきた。
海を隔てた向こうの山を見るともうもうと煙が上がっている。

屋根の鹿も火事見物しているように見えるf:id:YBR125K:20190417210458j:plain

とは言うものの、文字通り対岸の火事ということでf:id:YBR125K:20190417225052j:plain

【案内看板より】

鹿島神社ご案内
KASHIMA SHRINE INFORMATION

鹿島神社
KASHIMA SHRINE

当社は武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主命(ふつぬしのかみ)をお祀りした神社で、神功皇后三韓征伐の途中、風早の浦、鹿島にとめて、戦勝と道中の安全を祈願して出陣したと伝えられている。その後、事代主神(事代主)をあわせて祀った。
 例祭日は四月十五日と十月十二日の二回あり、海上神輿渡御(しんよとぎょ)には往時を偲ぶ勇壮な櫂練り船が登場する。

櫂練り
KAINERI

櫂練りは治承年間(一一七七~一一八〇)河野水軍が、出陣に際し鹿島の神前に集まって、戦勝の祈願、或いは凱旋の時の祝勝行事を行なった。
このことが鹿島神社の神事となったと伝えられる。
 往時、河野水軍の出陣再現にも似て囃しの鐘や太鼓の響きも勇ましく、櫂練り船を先頭に伝馬船に乗り移った二隻の神輿(じんよ)が続き、お供船が大漁旗笹幡をなびかせて続く。
 櫂練り船の設備・装置・奉仕者の扮装、舸子(かこ)の漕法、樽上で剣櫂を操り舞う動作、ホーランエーの掛け声など絢爛たる海上絵巻がくりひろげられる。f:id:YBR125K:20190417212702j:plain

 鹿の形の俳句ポストf:id:YBR125K:20190417213643j:plain

島内のいたる所にある句碑f:id:YBR125K:20190417214148j:plain

 キャンプ場に併設された炊事棟f:id:YBR125K:20190417214835j:plain

 14組が同時に調理可能だが、満員状態で肩寄せあっての食事支度はなるべくなら遠慮したいf:id:YBR125K:20190417215154j:plain

これという目的があって島に渡ったわけではないがf:id:YBR125K:20190417215526j:plain

とりあえず島の周囲をf:id:YBR125K:20190417215717j:plain

ぶらぶら歩いてみることにするf:id:YBR125K:20190417220047j:plain

 

 

松山市北条辻の鹿島にて(その1)

松山市の北条港から渡船で約2分、直線距離で400mほどの沖合に鹿島があるf:id:YBR125K:20190416220008j:plain

距離が近いだけあって渡船料金は往復¥210だが、クルマで行くと¥510の駐車料金が必要。バイクは無料だったのでうれしいf:id:YBR125K:20190416220403j:plain

大鳥居のかたわらにある花壇は花盛りf:id:YBR125K:20190416220743j:plain

紫の花にf:id:YBR125K:20190416235559j:plain

黄色い花f:id:YBR125K:20190416235714j:plain

駐輪場の端っこにバイクを駐車f:id:YBR125K:20190416230402j:plain

 待合所の前には釣り客やキャンパーの荷物運搬用としてサイズの違うリヤカーがずらりと並んでいるf:id:YBR125K:20190416224652j:plain

 来島港と同様のメカニカルな浮き桟橋f:id:YBR125K:20190416230011j:plain

干潮時は急な坂道になりますのでf:id:YBR125K:20190416230200j:plain

屋根の上に鹿が乗った渡船がやってきたf:id:YBR125K:20190416230749j:plain

釣り客と思われる数名と共に乗船するなり出港

北条港がみるみる間に遠ざかるf:id:YBR125K:20190416231143j:plain

船旅気分を味わう間もなく鹿島に到着f:id:YBR125K:20190416231400j:plain

 

 

 

 

野村町小松地区へ(その3)

校庭跡には両脇に桜の木を従えるようにして背の高いコンクリート柱が立っているf:id:YBR125K:20190415172058j:plain

設置されているのはKDDIの西予野村小松北局

何かと話題のHUAWEI製ではなくERICSSON社製f:id:YBR125K:20190415172743j:plain

校庭の周囲に植えられた桜は今が最盛期f:id:YBR125K:20190415173008j:plain

見るものとてない校庭跡に咲き誇っているf:id:YBR125K:20190415173156j:plain

基地局脇の桜は若木でまだ細いf:id:YBR125K:20190415173549j:plain

西予市立惣川小学校 - 学校公式サイト

惣川小学校沿革史抄より抜粋

昭和16年4月1日
国民学校令施行にともない、惣川国民学校と改称し、惣川第二小学校は、舟戸国民学校と改称する。

昭和18年4月1日
上浮穴郡浮穴村大字小屋は、浮穴村より分離し惣川村に編入する。同時に浮穴国民学校小松分教場は、惣川村立小松国民学校として独立する。
昭和21年1月1日
小松分教場は、惣川村立小松国民学校として独立する。

昭和22年4月1日
学校教育法施行にともない、惣川村立惣川小学校、小松小学校、舟戸小学校と改称する。

昭和30年2月11日
町村合併促進法に基づき、野村町と合併し、野村町立惣川小学校、小松小学校、舟戸小学校と改称する。

昭和43年4月1日
惣川小学校、小松小学校、舟戸小学校の3校を名目統合し、新たに惣川小学校とする。

昭和44年3月31日
惣川小学校、小松小学校、舟戸小学校の3校統合のため、3校舎廃校とする。校章・校歌・校旗・通学服を制定する。

昭和44年4月1日
統合校舎が新築落成し、新校舎において入学式を挙行する。

昭和47年3月31日
小中学校体育館が落成する。
巴 松五郎氏の胸像除幕式をする。

 

 巴松五郎翁頌徳碑の頭上にも満開の桜f:id:YBR125K:20190415173917j:plain

 頌徳碑と小松分館の建物f:id:YBR125K:20190415175051j:plain

そろそろ帰りますf:id:YBR125K:20190415183031j:plain

 

野村町小松地区へ(その2)

ほぼ8年ぶりに訪れた集落跡f:id:YBR125K:20190414155816j:plain

強風が吹き付けたことによるものか、朽ちた窓枠が室内側に崩れ落ちている。
戸締まり出来なくなった建物の崩壊は早い

軒が崩れ落ちるのも時間の問題かf:id:YBR125K:20190414161407j:plain

トタン葺き屋根は錆びによる虫食いが進行f:id:YBR125K:20190414161119j:plain

大きく開いた戸口の隙間からトタン屋根の建物の内部に入り頭上を見上げるf:id:YBR125K:20190414161658j:plain

壁がこちら側に倒れてこないようにするためか、電柱くらいの太さの丸太でつっかい棒されているf:id:YBR125K:20190414162130j:plain

前回来訪時にはなかった道が家屋の裏手に向け続いているf:id:YBR125K:20190414162423j:plain

コンクリートで固められた遊歩道を歩いて窓が崩れ落ちた建物の裏手に回ってみる。石積みの上に建つ堂々たる土壁の建物は昭和の初め頃は旅館で、隣のトタン葺きは荷運びや客を運ぶために飼われていた馬の厩だったf:id:YBR125K:20190414163731j:plain

トタン屋根の建物の壁には去年の案内が貼られたままだが、調べてみると今年の大祭も同月同日なので、曜日無関係で毎年同じなのかも 

大野ヶ原龍王神社春の大祭 

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表の道に戻って三叉路にあるバス停まで歩いてみるf:id:YBR125K:20190414164839j:plain

 庇のある建物にかかったままの表札f:id:YBR125K:20190414165321j:plain

 窓枠ごと崩落して内部が丸見えの家f:id:YBR125K:20190414165611j:plain

どんな状況でこの家を出ていったのか。

いかなる者にも最期の日はやって来るf:id:YBR125K:20190414165857j:plain

壁材の合板が次々に剥離してすだれ状態にf:id:YBR125K:20190414170256j:plain

雨樋に溜まった泥には瑞々しい雑草がf:id:YBR125K:20190414170541j:plain

そば焼酎雲海」の行灯看板f:id:YBR125K:20190414170732j:plain

三叉路に着いた。

道路標識の右横にバス停の看板が立っているf:id:YBR125K:20190414171039j:plain

西予市生活交通バス バスのりば 色納(いろの)

※バスに乗るには予約が必要です。

(午前の便:前日まで 午後の便:2時間前まで)f:id:YBR125K:20190414171443j:plain

三叉路側から数えて一番端の家には布団と毛布が干されている。

この家とすぐ隣の家は今日現在でも居住されていてなぜか安心する。

裏手から舟戸川の穏やかな流れが聞こえるf:id:YBR125K:20190414172157j:plain

付近に咲く花々①f:id:YBR125K:20190414174353j:plain

付近に咲く花々②f:id:YBR125K:20190414174452j:plain

付近に咲く花々③f:id:YBR125K:20190414174620j:plain

三叉路に一本だけ立つ堂々たる桜は今が満開だf:id:YBR125K:20190414172736j:plain

 日暮れが近くなってきたので、ちょっとだけ小松分館に寄って帰ることにするf:id:YBR125K:20190414175413j:plain

 株式会社平凡社
日本歴史地名大系第三九巻
愛媛県の地名
1980年11月15日 初版第一刷より抜粋

小屋村 (現)野村町小屋
 現野村町の東北端にあたり、東西に長く延びた山村。
東は浮穴(うけな)郡(現上浮穴郡)、北は同郡・喜多郡・南は土佐国に囲まれる。四国山地の西部を形成し、村域は標高500メートルから1400メートルに及び、東部の大野ヶ原から発する舟戸川は西に向かって屈曲しつつ流下し、惣川村を経て横林(よこばやし)村で肱川に合する。江戸時代を通じ大洲藩領で、大洲藩領南端の村。
 慶安元年伊予国知行高郷村数帳(1648)の浮穴郡の項に「小屋村 雑木山少有、茅山有」と記し、石高二〇八石一斗一升、うち田方七九石九斗二升二合、畠方一二八石一斗八升八合とある。
 小屋では旧暦七月に「こおどり」が行われる。念仏の間に鉦・太鼓・手拍子を打ち、扇子を振って歌いながら踊る。この踊は関東の鎌倉から来た人に習ったといい、そのなかの伏見踊は江戸初期の「女歌舞伎歌」に載っている。
 村域は昭和18年(1943)上浮穴郡浮穴村より野村町に編入された。

 

 

野村町小松地区へ(その1)

舟戸川に沿って県道36号を惣川方面にf:id:YBR125K:20190413172420j:plain

【道端の案内看板より】

四国カルスト 大野ヶ原への玄関口

ようこそ惣川(そうがわ)へ

天地の笑い
 耳をすまそう
  季節のうつろい

西海寺自然公園
        舟戸分館f:id:YBR125K:20190413172614j:plain

標高が上がるにつれて桜の花の密度が上がってくるf:id:YBR125K:20190413172912j:plain

道端に咲き乱れる淡桃色黄色白色f:id:YBR125K:20190413173206j:plain

男水自然公園に到着。

水場を賑わわせていたからくり人形が綺麗さっぱり撤去されたあとの湧き水付近をご夫婦と思われる年配の男女が掃除されていたf:id:YBR125K:20190413173751j:plain

 ここまで来たら目指す集落はすぐそこだf:id:YBR125K:20190414122627j:plain

 

丸山公園シャクナゲ園にて

 

  

桜に対するほどには興味も興奮もないがf:id:YBR125K:20190412205626j:plain

花見ついでに丸山公園のシャクナゲ見物にf:id:YBR125K:20190412205838j:plain

【案内看板より】

シャクナゲ

北半球の広い範囲に分布するツツジ属の低木です。葉は常緑で、花は枝先にくす玉状に集まって咲きます。日本に自生する種やその種から作られた園芸品種が日本シャクナゲで野生種は深山の岩場に生えており、成長が遅く栽培が困難なものが多い。西洋シャクナゲは主にヒマラヤや中国産の原種を元に欧米で作られた園芸品種で花の色が様々です。 f:id:YBR125K:20190412210511j:plain

【碑文より】

四国八十八か所番外霊場

龍雲山遍照院新四国五十四番

不動明王の下に爪髪供養塔を建立

不動明王の守護を仰ぎ死後はこの

地に来りて丸山公園大駄馬団地を

眺めつゝ永代木として保存の周囲の

森林を見守りつゝ冨永家宗家並に

子孫一同の繁栄を祈る

 昭和六十二年八月吉日 

  建立者 冨永廣   九十一才

      冨永タマオ 八十六才

園浄院 園城院 爪髪供養塔f:id:YBR125K:20190412211359j:plain

供養塔のある場所から500mほど下ると広い駐車場とf:id:YBR125K:20190412211713j:plain

シャクナゲが大書された公衆トイレがあるf:id:YBR125K:20190412211839j:plain

 トイレ前の八重桜の下に駐車f:id:YBR125K:20190412212139j:plain

シャクナゲ谷に向かって歩いていくf:id:YBR125K:20190412212350j:plain

シャクナゲには悪いがf:id:YBR125K:20190412212745j:plain

ほんの数10m登っただけでf:id:YBR125K:20190412212938j:plain

飽きてきたf:id:YBR125K:20190412214545j:plain

【案内看板より】

ヤマブキ

多数のアーチ状に伸びる枝に花が列生し、株全体が黄色く染まるので、遠目にその部分だけが一際明るく目に入ります。枝がそよ風に揺れる様は春の風物詩といってもよいでしょう。和名は風が吹くと山が動いているように見えることからついたと言われています。花が八重咲きになるヤエヤマブキは「山吹の故事」で有名な園芸品種です。f:id:YBR125K:20190412213450j:plain

早々に駐車場に向け引き返すf:id:YBR125K:20190412213806j:plain

駐車場から花盛りの川辺川方向を見下ろす。

高級和菓子を思わせる春の色合いをしばしの間眺めてから出発f:id:YBR125K:20190412215341j:plain

 

鹿野川園地は花盛り

丸山公園へ行く道すがら、花盛りの鹿野川園地にてf:id:YBR125K:20190411180516j:plain

桜並木は2~3日前がピークだった模様ながらf:id:YBR125K:20190411180838j:plain

桜だけでなくf:id:YBR125K:20190411180951j:plain

色とりどりの花が咲き乱れているf:id:YBR125K:20190411181048j:plain

見晴台に上がって鹿野川ダム湖と国道197号線を見下ろすf:id:YBR125K:20190411181410j:plain

 しゃくなげ見物してから大野ヶ原方面に向かうことにするf:id:YBR125K:20190411182346j:plain