徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

月夜の国道2号線を走る

尾道から下道だけで一気に舞鶴まで走るのは不可能というわけではないがプラン的にはかなり無謀なので、中継地として姫路のホテルを予約した。
うまく行けば夕食休憩時間を含めても日付が変わるまでには到着できるはずだが、念の為チェックイン時間は深夜1時にした。
予定より早くなるのは問題ないが、遅れる場合に必要な電話連絡が面倒なので到着時間はいつも遅めに申告するようにしている。

尾道から姫路までは主に国道2号線を走ることになる。
市街地は信号が多く日没後でも渋滞するが、バイパス区間は夜遅くなるにつれ、周囲を走る大型トラックの巡航速度が高速道並みに速くなる。
流れに乗るためには最低でも時速80km前後で走る必要があるので、色々と注意が必要だ。さらに今夜の宿泊予定地であるチサンイン姫路夢前橋に辿り着く前には自動車専用道の太子竜野バイパスを迂回する必要がある。

今後のために尾道方面から太子竜野バイパスを迂回する目印を記しておく。

国道2号線を進行し揖保川を渡ったら右手に見えるニトリたつの店に続いてUCC兵庫工場を過ぎたらすぐの揖保中交差点を右折すれば自動車専用道をかわせる。

右折後は国道2号線と並行するように東進、県道437号と交わる交差点を左折し松原口信号交差点を右折、県道725号をそのまま進行すれば鵤(いかると読むのか)交差点から先は国道179号線となり自動車専用道への誤進入に煩わされることなくホテルサンシャイン青山チサンイン姫路夢前橋にたどり着くことができる。

素晴らしい月夜の下、ハイペースの大型トラック軍団に付き従って走った結果、22時54分に無事目的地のチサンイン姫路夢前橋に到着。

初日の走行距離は300kmをわずかに超えた程度だが、久しぶりの長距離走行なので予想通り尻が痛くなった。

自宅を出てから8時間以上走りっぱなしなので、チェックイン後すぐ部屋の風呂に入り焼酎一合ほど飲んで寝た。

朝まで眼が覚めることなく久々の熟睡。

 

取るものもとりあえず

7月頃から休日ごとに雨という天気ローテーションが続いて不貞腐れていたら、季節が秋に変わっていた。

この10月でわがYBR125Kは運用開始から10年目に入る。

相変わらずの貧乏暇なしで、3日半の休みを取るのも大変だったが、今年の秋ツアーは3泊4日の予定で舞鶴と福井嶺南地方を目指す。YBRは原付二種なので自動車専用道は利用できず下道のみをひたすら走ることになる。なかなかに大変なプランだが、ここ当分長距離を走ることがなかったので久しぶりに尻の皮が剥けるほど走ってやろうと決めた。

ホントは日程にあと1日と帰宅してからの休養日を追加したいところだが諸般の事情はそれを許してくれそうにない。

運悪く連日悪天候が続いて日程が消化困難になった場合か肉体疲労により動けなくなった時の非常用予備日として1日の休みを追加申請する腹積もりだ。

10月14日正午過ぎに万難を排して仕事を切り上げ、取るものもとりあえずバタバタと荷造りし今治市に向かって走り出す。16時30分ちょうどにしまなみ海道原付道入口に到着した。

夕方近くになり肌寒さを感じてきたので伯方橋の上で防寒対策f:id:YBR125K:20191020113448j:plain

手すり越しに見附島キャンプ場を見下ろすf:id:YBR125K:20191020113725j:plain

 まもなく夕食調理とお楽しみの宴会が始まるのだろう。あと1時間ほどで日も暮れるが、こちらは夜道を今から8時間近く走ることになるf:id:YBR125K:20191020114831j:plain

 


Weather Report - Can It be done

リアキャリアが折れた

因島からの帰路、赤信号でブレーキングの際、ときおりリア付近から発せられる軋み音に気がついた。 

自宅ガレージに帰り着くなりリア周りを点検するとキャリアパイプの屈折部分が左側は残りあと10mm、右側があと5mmで完全破断という状況だった。
次の休日、これに気づかず出発してしまった場合は確実にツーリング序盤でトップケースが落下してしまうところだった。転落の衝撃で道路に内容物を撒き散らしたあげく、後続車に迷惑をかけた可能性もないとはいえない。


高速切断機でスパッと切ったような車体左側f:id:YBR125K:20190629115529j:plain

長年の金属疲労によりかなり複雑に断裂した右側f:id:YBR125K:20190629115756j:plain

キャリアを取り外して断裂状態を確認f:id:YBR125K:20190629121108j:plain

規定重量の2倍から3倍近い6.5~10kg以上(トップケース本体の重量を含む)の常時積載荷重に72,000km耐えた純正リアキャリア。
製品の品質にバラツキが多い中華部品としてはアタリだったといえる。

SHADトップケースに付属するパーツではパイプ径25mmの純正キャリアには取り付け不可だったため、自作パーツによりトップケースの取り付けベースをキャリアに固定している。f:id:YBR125K:20190629115927j:plain

新しいキャリアを注文してもよいが、今度送られてくるものが現用品同様の耐久性能を持つ確証はないと考え、今回は破断箇所を溶接修理することにした

見栄えよりも耐久性を重視して厚めに肉盛りし、ブラック色に塗装して修理完了f:id:YBR125K:20190629120015j:plain

 ブレーキングや凹凸路面を通過するたびのしかかるキャリアの重みでテールカウルのセンターカバー両端にヒビがf:id:YBR125K:20190629120152j:plain

カバーの割れは走行に支障はないが一応取り外して裏側から瞬間接着剤を流し込んで補修f:id:YBR125K:20190629121917j:plain

このところオイル交換とチェーン調整以外は簡単な目視点検のみ、その他の点検整備をサボりがちだった愛車は運用開始からこの10月で丸9年。
そろそろ車検並程度の点検整備を行う必要を認めながらも、日々の忙しさにかまけて先延ばしする現状である。

因島の鯖大師

因島土生町の天狗山中腹にある鯖大師(さばだいし)f:id:YBR125K:20190617150206j:plain

弘法大師 大正十年八月吉日 村井才吉建立f:id:YBR125K:20190617150428j:plain

【碑文より】

鯖大師の由来

 弘法大師因島に御来島の秋 島を一巡されるお姿はお袈裟朽ち衣破れ乞食相にも似たご修行姿であったという 
 海岸をご巡錫(※じゅんしゃく)の途中頭に魚桶を乗せ行商する<魚屋にお逢いになり魚の喜拾を求められた
 其の時魚屋は之は商品の品でありまして魚を乞らとは全く
呆れた生臭坊主乞食坊主と罵り去ったという
 しばらく行って魚屋がふと桶の中を見ると今朝獲ったばかりの鯖も鯛も全部腐っていた
 これは唯人ならずと後を追いその修行僧に合掌懺悔して許しを乞い大師は魚屋を憐み桶の中から鯖や他の魚を取り出し御加持して海に放すと勢いよく内海へ泳ぎ去ったという信仰談が今に語りつがれている
 この鯖大師像は明治45年に作られ村井万吉氏宅地に祭置されていたものを大師像と共に當処に移転したものである。
  
 西國寺沙門文雄

※巡錫 
錫杖(しゃくじょう)を携えた僧侶が各地をめぐりながら教えを説くことf:id:YBR125K:20190617150505j:plain

内部の様子f:id:YBR125K:20190617150549j:plain

鯖大師と向かい合う「ホテルいんのしま」のエントランスf:id:YBR125K:20190617150849j:plain

 せとうちタイムズ

国民宿舎いんのしまロッジ「ホテルいんのしま」に改名

因島公園テレビ塔展望台

原付道を因島で降り、ハローズ因島店の看板を目印に県道366号をしばらく直進、安郷トンネル手前を右折し因島公園を目指し山を上って行く。


行き止まりにある駐車スペースにバイクを駐車、ここから展望台まで歩くことになるf:id:YBR125K:20190616144929j:plain

【案内看板より】

この事業は市街地周辺などにおいて、保険休養の場としても利用できる森林に整備する事業です。
 ここでは林内にヤマザクラ、ツバキ、モミジ等約20種類の苗木を植え、訪れる人々に四季おりおりの自然を楽しめるように整備し、また林内を散策できるように歩道を整備しました。
 森林には水をたくわえたり災害を防いだり、人々のリフレッシュを行うなど様々な働きがあります。このように森林は私達が生きていく上で欠くことのできないものです。
 いつまでもすばらしい自然を残せるように森林を大切にしていきましょう。f:id:YBR125K:20190616145207j:plain

山頂までコンクリート舗装の斜面なのでアキレス腱が延びそうだf:id:YBR125K:20190616145817j:plain

【案内看板より】

標高207m 紀元2600年記念事業として 昭和15年に土生町民の奉仕によって整備された 昭和29年に因島公園保勝会を設立し その整備につとめ 昭和32年には 瀬戸内海国立公園特別地域に指定され 現在 因島観光協会が管理している
園内には約500本の桜のほか 国民宿舎 遊歩道 展望台 遊具 記念碑等があり 山頂のテレビ塔には眺望案内板がありますf:id:YBR125K:20190616150028j:plain

遊歩道途中右手の奥まったところにある祠f:id:YBR125K:20190616150956j:plain

石土蔵王大権現(愛媛県の石鎚連峰)が祀られているf:id:YBR125K:20190616150837j:plain

駐車場から15分ほどで展望台を見下ろせるこの場所に到着f:id:YBR125K:20190616151412j:plain

【案内看板より】

火野葦平・ひのあしへい(1907~1960)

小説家、本名玉井勝則、福岡県に生れる。

早稲田大学を中退。

水軍船出

若松港で沖仲仕として働き地方主義的文学運動をおこす。(糞尿譚)で芥川賞を受賞、日中戦争に従軍(麦と兵隊)以下の三部作で一躍流行作家となる。土に深く根ざしたリアリズムと律儀な正義と人情味、夢想家的ロマンとたくまざるユーモアで、広く支持を受ける。河童を自画像として、因島では村上水軍の船出に乗り組む。f:id:YBR125K:20190616152455j:plain

この場所が「つれしおの石ぶみ」の終点になっているようだf:id:YBR125K:20190616152650j:plain

テレビ塔に行く前に展望台に上ってみる。

天気がいいので眺望が素晴らしいf:id:YBR125K:20190616153021j:plain

6月とは思えないほど湿度が低いせいで快適だf:id:YBR125K:20190616153308j:plain

 山頂にあるテレビ塔f:id:YBR125K:20190616153811j:plain

各方向を向いて設置された扇形の眺望案内板で位置関係を確認f:id:YBR125K:20190616154058j:plain

3年前に訪れた生名島の三秀園と立石港の赤い門型桟橋が眼下に眺望できるf:id:YBR125K:20190616160420j:plain

来る途中、「称功の碑」付近から見た2つのひょろ長い島は平内島と鶴島、その傍らにある句読点のような小島が亀島という名なのを知るf:id:YBR125K:20190616154146j:plain

平内島、鶴島と亀島の様子f:id:YBR125K:20190616154811j:plain

 

海沿いの廃墟

瀬戸田町萩(生口島)の国道317号沿いにある廃物件f:id:YBR125K:20190615111403j:plain

住吉神社尾道産業㈱瀬戸田工場の中間地点の海沿いに位置しているf:id:YBR125K:20190615111519j:plain

トラロープに取り付けられた「危」看板で上り口が塞がれているが、何のために建てられた施設だろうf:id:YBR125K:20190615111703j:plain

屋根の裏側は鉄筋が露出し、法面の一部には崩れた跡もある。
心なしか屋根が少し傾いているように見え、建物の建つ盛土ごと裏手にある砂浜に崩落する可能性がありそうだf:id:YBR125K:20190615111829j:plain

朽ちかけた手摺越しに尾道産業㈱瀬戸田工場の建屋を見るf:id:YBR125K:20190615111956j:plain

 

古城島

【案内看板より】

甘崎城跡は、戦国時代から江戸時代初期にかけての海城です。
考古学的調査によると、遺物は15・16世紀の年代を示し、16世紀が反映の時期と考えられます。戦国時代は能島や来島の村上海賊衆の拠点として使用され、岩礁に見られる柱穴跡は、繋船施設の遺構と考えられます。
また、干潮時に見られる石列は、藤堂高虎今治城主だった江戸時代に、改修させた石塁の一部と考えられます。
高さ2~3間半(1間は約1.8m)の総石垣が島の周囲を取り囲み、追手口には内枡形の縄張りが見られます。
島内では、建物の礎石や多数の瓦片も見つかっています。
元禄4(1691)年にこの沖を航行したドイツ人医師ケンペルが、海中より聳(そび)える高石垣に驚いています。
それらの多くは、幕末期ころに地元の堤防石垣(塩田など)として使用されたようです。

古城島散策時の注意事項

※古城島周辺は、愛媛県の史跡に指定されています。岩礁、石積み・島肌を傷つけることや、瓦・陶器のかけら等の遺物の持ち帰りは、罰則の対象となりますのでご注意下さい。
※階段、海岸の足元は大変すべりやすいので、転ばないよう充分注意してください。
 なお、怪我等の傷害について、当協議会では、一切の責任は負えません。
※火気の使用禁止、ごみの持ち帰りをおねがいします。

上浦地域活性化推進協議会f:id:YBR125K:20190614103256j:plain

 体験型観光 日本唯一の近世城郭海城「甘崎城」f:id:YBR125K:20190614144343j:plain

古城島付近から通りなれた多々羅大橋を眺めるf:id:YBR125K:20190614103842j:plain