四国カルスト(大野ヶ原高原)その2
小屋集落跡から男水自然公園方向に少し引き返すと、山側に入る道路がある。
しばらく上って行くと、小学校の正門跡が見える。
学校名はプレートが剥落したか、剥ぎ取られてなくなっている。
校庭の片隅に目当ての石碑があった。
この辺は、かつて小屋村(浮穴村大字小屋)と呼ばれる集落であった。
母親はこの集落の出身であり、幼少の頃まで生家は旅館業を営んでいたらしい。
顕彰碑に名を印された巴松五郎は、祖母の弟になり大叔父に当たる。
小屋村落の村長かそれに類する役職にあったらしく、
小学校に対する貢献を讃えられ顕彰されたと聞いた。
廃校になって久しい小学校は、10数年前に眼にした廃墟寸前の状態からリフォームされ、入口開き戸の頭上には「小松分館事務局」と大書されている。
ガラス窓から室内を覗き込む。
廊下を隔てた内部の壁面に、20人ほどが並んで写った集合写真が飾られているが日光による退色が甚だしい。
どうやら建物としての二度目の用途もそろそろ終わりかけているかに見えた。
校庭はゲートボールかクロッケー場としての用途に供されているのか。
正門付近より校舎を望む。
そろそろ大野ヶ原に向かうことにする。
大野ヶ原高原、源氏ヶ駄馬の駐車場からカルスト台地を望む。
頂上付近は海抜1400mになり、四国でもっとも眺めのよい場所のひとつである。
源氏ヶ駄馬の麓にある公衆トイレ付近の案内看板前にて。
このあと付近の店で濃厚な味のソフトクリームを食べてから出発。
国道197号線に通じる大規模林道途中にある韮ヶ峠
坂本龍馬はここから伊予へ、宮本常一はここから歩いて梼原へ
維新の道、坂本龍馬脱藩の地
大規模林道は県境が入り組んでいるらしく、国道197号線に出るまでの区間、場所によっては200mおきに高知側と愛媛側を交互に通行することになる。
2012年9月13日追記