徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

停電のお願い

四国電力から「停電のお願い」である。

自宅から150mほど離れた国道沿いの電柱を何本か移動させるためらしいが、それにしても3時間は長い。
こちらは職場で勤務中なので無問題だが、冷凍庫内がほぼ解凍状態になるほどの時間を電気無しで過ごすのはなかなか大変だ。
運悪く家にいる日に停電した場合、デスクトップPCが起動しないのはもちろん、ノートPCもバッテリーが弱っているため10分ほどしか使えない。掃除機が動かないので洗濯は出来ず、洗濯機が動かないので洗濯もできない。TVは観られず携帯も充電出来ず、カメラと鼻毛切り器と毛玉取り器とラジオに入れるエネループも充電できない上、トイレに入ってもウォシュレットが作動しない。
これはなかなかに大変な事態である。

そういえばもう当分の間、停電に遭遇した記憶がないが子供の頃はもっと頻繁に停電していた気がする。昔は今ほど電気製品に依存していなかったはずなので、現代の不便さに比べれば影響は少なかったに違いない。
子供の頃でも冷蔵庫や洗濯機はもちろんあったが、なぜか停電といえば電灯が点かなくなるだけと漠然と考えていた。
親の世代であれば停電中にどうしても洗いたい洗濯物があれば、タライと洗濯板で手早くやってしまっただろうが自身は洗濯機のスイッチを押す以外に衣類の洗濯方法を知らない。
掃除について言えば雑巾だけは辛うじてあるが、そもそも室内用の箒やちり取りがないので、ましてやハタキなどあるわけがない。
日常生活のすべてにおいてどっぷりと電気に依存していることに気づくには、たまの停電はいい機会と言える。

かなり前に読んだジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」を思い出した。

慢性化した日常には、停電さえ変化の兆しになることもある。

停電の夜に (新潮文庫)

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