徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

紀伊大島

灯台と神社を後にし、紀伊大島に向かうべく県道41号線をくしもと大橋に向かって進行する。

紀伊大島に渡るには、くしもと大橋と苗我島ループ橋を通ることになる。

橋を渡ったら県道40号線を直進進行すると樫野灯台口に到着する。

ここからは車両通行止めなので駐車場にバイクを駐めて歩く。天気がいいので昨日の雨天走行でぐしょぐしょになったグローブをシートの上に干したままにしておいたらほぼ乾いていた。今回のツーリングは当初から雨天走行を想定していたので厚手薄手交えた3組のグローブを携行。

TVで何度か観たことのあるトルコ記念館。
正午を少し過ぎた時間だったがトルコ人と思われる男性が入口玄関ドアと床面を念入りに拭き掃除していたが、有料ということもあり来客はまばらな模様。

トルコ記念館
トルコ軍艦エルトグルル号遭難資料展示
故エミオスマンパシャ殿下の遺品等を展示
日本・トルコ両国海軍修支以後の記念写真展示

さらに歩くと右手にトルコ軍艦遭難慰霊碑が見えてくる。
門の左右にへんぽんと翻る日章旗トルコ共和国国旗

【案内看板より】
明治23年(1890年)、トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため、この慰霊碑眼下の海域に臨む船甲羅岩礁で難破しました。
島民は献身的な救助活動を繰り広げ69名を救出しましたが、580余名の乗組員の尊い命がうばわれました。そして、引き揚げられた遺体をこの丘に埋葬しました。
翌、明治24年和歌山県知事をはじめ、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され併せて追悼祭が行われました。この碑は昭和4年昭和天皇の樫野埼行幸を聞いたトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立することを決定、トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日(1937年)に完成したものです。

実に堂々たる大きさの慰霊碑

地元ライオンズクラブの寄贈による砲台型の献花台

樫野埼付近から海を眺めると左側の熊野灘の海面はエメラルドグリーンに見える。

こちらは太平洋側

腹が減ってきたのでぼちぼち出発することにする。