八百比丘尼の塔
傍らの説明文碑より
この層塔は永和四年戊午三月六日(1378)に建立されたもので、通称「石の塔」と呼ばれている。総高七・一メートル、塔身は凝灰岩の切り石を十三層に積み重ねたもので他に類例がなく、異形十三重塔とも呼称される。
三百年後の延宝六戊午季孟六日(1678)丸亀藩主京極高豊公が散逸した塔碣を集め、且つその欠けたところを補い修復した。
更に三百年たち損傷が甚だしく倒壊の危機に瀕したので、県、町、地元住民が一体となって、昭和五十二年(1977)三月六日解体修理に着手し同年五月十四日完成した
図解「日本の七不思議」ミステリー 日本博学倶楽部著
より引用
異形の十三重塔は誰が建てた!?
塔の建立にまつわる尽きない謎
香川県三豊市高瀬町。この町に広がる田園風景の一画に、高さ7.1メートルの異形の石塔がそそり立っている。
この石塔は、基底部の上に重ねられた十三層の切石からなる四角錘の物体で、一層目は一辺1.8メートル。上にいくほど小さくなり、最上部には丸みを帯びた石が積まれている。
しかも、ピサの斜塔のようにやや南西に傾いてはいるものの、石が重なる部分は凹凸をきっちり組み合わせているため崩れにくい。
石塔には、1378(永和四)年の建立で、その300年後に丸亀藩主・京極高豊が修復したと刻まれているが、この奇妙な石塔を誰が何のためにつくったのかは不明だ。
その不可解さゆえ、建立についてもさまざまな逸話があり、四国らしく、弘法大師が一晩でつくったとの説もあるが、なかでも興味深いのは「八百比丘尼」にまつわる伝説だろう。
この八百比丘尼とは、人魚の肉を食べて不老不死を得たという若狭(福井県)の娘のことで、彼女は比丘尼(尼僧)となって全国を行脚し、その際に高瀬にも立ち寄り、石塔を建立したのだという。
伝説の真偽のほどは定かではないが、この奇妙な十三重塔は歴史の謎と風格を備えたままこの地に存在し、現在では香川県の有形文化財にも指定されている。
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