桜木石鎚神社その2
扁額に金文字で刻まれた「桜木石鎚神社」の文字
苔むした坂道を20mほど登ると左手の眼下に「桜木石鎚神社社務所」と墨書された看板が掲げられた平屋が見えてきた。
空気の入れ替えのためかサッシの窓が半分開けられたままだ。
窓越しに内部を見ると布団と何枚かの座布団が確認できる。
社務所とはいうものの、そこはかとなく漂うプライベート感により内部の撮影は自粛した。
変わった意匠のブロックによって上部の水平面を確保している。
左上に見える社に向かって坂道を登って行く
社の傍らに設置された石碑
碑文
合祀の碑
祭主 木山 栄吉大人命 昭和六十一年一月二十五日
木山ユキエ刀自命 平成元年六月二日
四男一雄この地に眠る
弱冠十七才 終戦混乱の地に単身上阪
中山製鋼所に入社以来四十八年間精勤
同社分析室まで昇格
平成六年定年退職 その間には神社の
維持に渾身設営努力し 亦赤心父母に
孝養を盡くす
平成十年九月十六日大阪にて急逝
生前の希望に依り今此所に父母の懐に
眠る その性明朗闊達無欲慈愛あまね
く衆人に及ぶ
平成十年十一月吉日建之
格子の上の隙間から内部を覗くと写真が入った額が2つ掲げられている。
左側は法要の場面なのか祭壇に向かって座る人々が後方から撮影されている
本殿に向かって歩く
興味本位で調べてみると多摩川にほど近い川崎市の国道409号線(府中街道)に隣接する県営河原町団地の住所だった。
コンクリート製の手水鉢
本殿の右側壁面にある落書き
白墨で書かれた3行目は「大えん会」か
墨書された看板は消えかけていて読めない
ガラス越しに内部を撮影
祭壇中央に遺影が見える
さきほど見たのと同じ法要を撮影した写真がここにも飾られている
提灯の丸に石のマークは石鎚神社共通の印
本殿から一段下がった左手にある納屋
薪にするためか木の枝が積み上げられている
道路を挟んで神社の反対側に設置された石碑
昭和五十五年五月十日
桜木石鎚神社
上浮穴郡○○ 阿部義正・道生 建之
人目につきにくい雑木林の中という立地条件もあり雑草の駆除だけに関してだけでもかなりの労力を要するだろう。コンクリート製の池や手水鉢等にはここしばらく手がかけられた様子はない。
神社全体が雑然とした印象だが、放置されているわけではなく個人もしくは少人数による継続的な維持管理が続けられている形跡があちこちに見受けられた。
一般的な神社というよりは、「桜木石鎚神社」に祀られた木山氏と、これを建立した阿部氏一族のためのプライベート空間という意味合いが強く感じられる施設だ。