今岡御所跡
伊予灘サービスエリアからほど近い伊予市宮下の溜池のほとりに今岡御所跡の石碑がある。
【石碑の裏の碑文より】
当所(茶臼山)は人皇七代孝霊天皇の皇子 彦狭島命(伊予皇子とも云われる)が舘をかまえ 四方の国々を 鎮護された所であると云う
ここに 今岡神社を建立し 彦狭島命と 大小市命を奉祀した
伊予の豪族河野氏の始祖として 崇敬していたが 現在は 伊曽能神社の末社として 吹揚神社に合祀されている
昭和五十四年十月吉日建立
【案内看板より】
今岡御所跡
ここには、彦狭島命(ひこさじまのみこと)と大小市命(おおこいちのみこと)を祭る今岡神社があったが、千九〇九年(明治四十二年)伊曽能神社の境内末社となり、その境内は新池の造成によって、池の堤防と変わり、もとの社の石材が碑のほとりに置かれている。
「大洲旧記」によると伊予の豪族河野氏の遠祖孝霊天皇第三皇子の彦狭島命(伊予親王)が居住され、その崩御地であるといわれている。
また、ここは弥生時代の住居地で、土器片、石包丁、石斧など多くの出土品があり、茶臼山の地名が示すとおり古墳時代にはこの地に、前方後円墳が作られたところである。
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