徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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毛利家墓所

大照院に隣接する毛利家墓所方面に向かって歩く

携帯電話で時刻を確認するとまだ正午を少し回っただけ。
朝5時から走っていると一日が長く感じられ慌ただしさがなくてよい

【案内看板より】

萩藩主毛利家墓所 【大照院墓所

大照院墓所は、萩藩初代藩主毛利秀就以下2代から12代までの偶数代の7藩主と夫人および一族と秀就に殉死した7藩士の墓52基などがあり、総面積5,717,39㎡である。
墓の周囲には、玉垣22か所、鳥居7基、石灯籠600数基、石橋1架、参道の石畳などの石造物と墓所入口の小門1棟がある。
これらの墓は、明治以降に移されたものや一部の新墓を除いて、いずれも花崗岩製の五輪塔形である。なかでも藩主夫妻の墓は高さ4.5mの大形である。鳥居や多数の石灯籠は、家臣をはじめゆかりの深い人びとが寄進したものである。

国指定史跡

指定年月日 昭和56年5月2日
所 有 者 個人
所 有 地 萩市大字椿

門の向こうにおびただしい数の灯籠が見える
改修工事が昼食休憩に入ったらしく、辺りは静まり返っている。

萩藩主毛利家大照院墓所配置図

初代  秀就大照公
     従四位下右近権少将
     慶安四年正月五日卒去五十七
     同室 喜佐姫

十代  斉熙清徳公
     贈従三位左近衛権少将
     天保七年五月十四日卒去五十四
     同室 三津姫

二代  綱広秦巌公
     贈従三位大膳大夫
     元禄二年四月十七日卒去五十一
     同室 千姫
     同室 房姫

六代  宗広観光公
     贈従三位大膳大夫
     宝暦元年二月四日卒去三十五
     同室 勝姫

四代  吉弘青雲公
     従四位下大膳大夫
     宝永四年十月十三日卒去三十五
     同室 小石姫

八代  治親容徳公
     従四位下大膳大夫
     寛政三年六月十二日卒去三十八
     同室 節姫

十二代 斉広崇文公
     従四位下大膳大夫
     天保七年十二月二十九日卒去二十三
     同室 和姫

5つ並んだ石鳥居の前にずらりとならんだ石灯籠群

広大な墓所敷地に見物客は自身1人のみ

【案内看板より】

大照院と大フジ

大照院は臨済宗南禅寺派に属し、萩藩初代藩主、毛利秀就菩提寺として、二代毛利綱広が創建したもので、秀就のほか6藩主夫妻の墓があります、この墓所は国指定史跡です。
 国指定重要文化財の本堂、庫裏、書院、鐘楼門、経蔵などもあり、名刹の名に恥じないものがあります。
 また、ここの墓所には樹齢300年をこえるフジが10本ほどあり、大きいものは根回り2メートル20センチ、その蔓は、高さ30メートルの杉の梢にさえとどくほどです。
 萩の歴史の大半を知っているフジです。

墓所に覆いかぶさるフジの枝と蔓

この墓所も大照院本堂等と同様に長い期間荒れるに任せていた印象を受けた。