徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

大洲市豊茂の生御院

紅葉見物を兼ねた試運転のつもりで12月下旬並みの寒風の中、国道11号〜56号〜197号線をひた走り愛媛県八幡浜市へ。

途中大洲市から旧国道197号の夜昼峠を通って数カ所の紅葉を撮影したが、カメラの誤設定のせいか色合いが悪くすべてボツ。

八幡浜市内で遅めの昼食後、保内町方面に回り県道28号経由で大洲市長浜へ。

県道28号線沿いの長浜町穂積付近で見つけた道路標識。
今通過してきた金山出石寺大洲市豊茂にある

錆びた道路標識が指し示す大久保線方向に向かって橋を渡る

針葉樹の落葉に覆われた山道の麓に白い看板が立っている

「生御院(いきぎょいん)まで40m」の案内板

かなり急な登りだが目的地まで40m程度なら登ってみることにする

途中どっちに向かって登ってよいか迷うが適当に先に進む

祠の屋根が見えてきた

【道路脇に立っていた案内看板より】

生御院(いきぎょいん)の由来

亨保十七年(1732年)、安永六年(1777年)、天明三〜八年(1783〜1788年)にかけて天災害で、下土屋村の危機を感じた猪ノ尾の百姓出川(いでかわ)戒エ門が、我が身を神仏に願をかけ、石の御堂を作り生御院と命名し、食を断ち鉦の音と共に唱え始めた。そして、鉦の音が聞こえなくなったのが、天明八年(1788年)六月五日であった。
明治二十一年(1888年)には、戒エ門の百回忌法要が行われ、地区の安全を祈願した地蔵も作られた。
また、戒エ門の他に多数の人々がこの地に眠っていると伝えられている。

ニ〇〇九年 二月 大和歴史研究会

和風の百葉箱を思わせる簡素な木造の祠

木造祠の裏手には古い時代の瓦祠が