徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

大崎下島の御手洗地区その3

江戸時代中期より「お茶屋」として100人近い遊女をかかえ繁盛した「若胡子屋」

広島県の文化財-若胡子屋跡・ホットライン教育ひろしま
現在はオカルトマニアに人気のスポットらしいが因縁めいた幽霊話などに興味は無い

細かい文字がびっしりと墨書された案内看板は経年により薄く消えかけていて読めない部分が多い

こちらは最近設置された真新しい案内看板

現在は内部が公開されているようだが、到着時間が遅かったらしくすでに板戸が締め切られている。

正面玄関戸板の割れ目からかなり奥行きのある内部を撮影。
繁栄する往時の様子が描かれたパネルが見える

小さな花瓶に飾られた野の花

【若胡子屋の向いに位置する金子邸の案内看板より】

慶応二年(一八六六)一月、坂本龍馬の仲介で、長州藩桂小五郎薩摩藩西郷隆盛との間で薩長連合が成立し、反幕の勢力は強力となり、もはや天下の形勢は旧幕府の体制ではどうにもならなくなりました。
広島藩薩長土肥の各藩と連けいして、この動乱に処していくことになりました。慶応三年十一月二十五日、長州軍は家老、毛利内匠指揮のもとに奇兵、遊撃、整武、鋭武、振武、膺懲、第二奇兵の七隊が二隻の軍艦に分乗し、汽船鞠府号に先導されて、三田尻を出帆し、二十六年夕方御手洗に来着しました。
広島藩からは、これと会合するために、諸兵総督、岸九郎兵衛以下お歴々や少壮志士が兵を率いて、二十四日、汽船震天丸に乗って広島を出帆し、御手洗で長州軍の来るのを待っていました。そしてこの金子邸で長州との約定が結ばれ、その夜(翌朝)震天丸を先発として、長、芸の倒幕軍は京阪に向けて出発しました。これが有名な御手洗条約です。坂本龍馬中岡慎太郎などの志士も度々来島し、密談を行ったといわれています。
これより先、風雲急を告げつつあった維新の動乱に備えるため、御手洗の「ながめの鼻」に「御台場」(砲台)にも据付けられました。

天満神社の案内看板より】

御手洗という名の起りは、神功皇后三韓侵略、この地で手を洗われたというところから、この名が付けられたといわれ、古くから神功皇后伝説があった。万延元年(一八六〇)にこの地に遊んだ勤皇僧、宇都宮黙林の詩にもそのことが書かれている。明治に入ると御手洗の主人公は菅原道真へ移った。延喜の昔(九〇一)管公が太宰府に左遷されたとき、船をこの地に寄せ、天神山の麓のこのところで、口をすすぎ、み手を洗われ、天神地祇にお祈りした。このところを管公御手洗いの井戸とし文筆の神にあやかって、正月の書き初めは必ずこの若水をくんで書いたものである。

夏祭りの櫓音頭に
  清き清水のョー 管公が井戸にョー
     姿うつした梅の花ョー

と井戸に対する敬愛の念は深まっていった。明治四年(一八七一)芸州藩の貿易官船越寿左衛門のすすめによって古くから満舟寺の三社堂に安置していた管公像を、この裏の小高いところへ移し、小さな社を建てた。これが天満宮の起源である。

 我たのむ人をむなしくなすならば
   天か下にて名をやなかさん

管公の歌を刻んだ大きな石碑は、大正六年(一九一七)遷宮のときに建立されたものである。境内には、ホトトギス同人飛弾桃十氏の
 
 花美柑の香の高まりに夜潮満つ

の句碑や、当地出身の中村春吉氏の明治後年からの自転車での世界一周の記念碑がある

入口の案内板に描かれた絵図

かなり大きい菅原道真公の歌碑
梅雨時の湿った空気の中を藪蚊がぶんぶん飛び回っている

案内看板

中村春吉碑
快男児快挙録・国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」

天満神社拝殿

【本殿格子板壁の張り紙より】

菅原道真公御祭神の天満宮に、ご参詣の皆様!

この社は、天満宮です。菅原の道真公は九〇一年太宰府に配流されましたが。九〇三年謫所でみまかられましたが、爾後天神信仰により神格化され、のちに北野や大宰府で祀られました。
古より、この地に、浄き清水が流れ、道真公御手を洗われし事から、御手洗成る地名となったとの伝承が有ります。お手を身心を浄められたら如何ですか。
又京都の、美濃屋太助なる人、道真公の神像を祀られ、大正の初期この地に、社を設けられました。
この井戸の、左手側に、本殿が造営されていますが。この本殿下より、南の方角に道が設けられております、ここを神の道「可能門」と名付けられており。この参道を通られる時、何か願い事が有れば、「願い事を念じますと、」何か「お聞き届けがあるとか」古老の言です。「海ならず ただよふ水の底までも 清き心は月ぞ照さむ」

※句読点および「」の位置も原文のまま

天満神社本殿

本殿の下をくぐり抜ける「可能門」

可能門を抜けた位置に設置されたお地蔵様
小さな胴体に比べ不釣り合いに大きな頭が石壁にもたせかける形で設置されている

今来たのとは違うコースを通って海岸沿いの県道に戻ることにする