徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

笠山山頂園地

萩市内で遅めの昼食を済ませ、指月山が見える県道299号線の菊ヶ浜付近で一休み。

この季節の日本海は晩秋から冬にかけての荒々しく黒っぽいイメージとはまるで違う

今夜は越ケ浜の「萩小町」に宿をとっている。
明神池に歩いて行ける距離にあるという理由だけでホテルを選んだが、チェックイン予定時間よりかなり早く到着したので、前回来訪時にパスした笠山展望台からの景色を楽しむことにして国道191号を北上し越ケ浜に向かう。

越ケ浜の明神池を右手に見ながら笠山の山頂に上って行く

【案内看板より】

笠山(KASAYAMA)

 笠山は北長門海岸国定公園の中心部に位置し、高さ112mで、頂上には口径30m深さ30mの小さな噴火口跡がある。海抜60m付近までが数万年前の噴火活動でつくられた溶岩台地で、その上に、約1万年前の噴火で、つり鐘状スコリア丘の単成火山がつくられた。
 周囲には、溶岩のすき間から海水や風が出入りする池や穴(風穴)が多く存在し、暖・寒地性の植物も多く見られ、コウライタチバナの自生地(国指定天然記念物)でもある。
 笠山という名は、遠くから眺めた姿が、女性のかぶっていた市女笠(いちめがさ)に似ていることから、こう呼ばれることになった。

Mt.kasayama is 112 meters high. At the top there is remaining crater with a diameter of 30 meters and also with a depth of 30 meters. There are some ponds where sea water come in and out through cracks of lava and some splits(Kazaana) through which air comes in and out in the area near Mt.Kasayama.

火口の矢印に向って歩いて行く

案内看板がなければ全くわからないが、鎖で囲われた向こう側一帯が火口(クレーター)らしい

【展望台の案内パネルより】   

笠山山頂から見る萩1億年の歴史

萩の大地の土台は、アジア大陸の一部であった約1億年前の激しい火山の噴火によって作られた。その後、大陸が分裂移動して、現在の日本列島と日本海のもとができた。約1200万年前の割れ目噴火は溶岩台地をつくり、その一部は見島になった。約200万年前〜1万年前にはたくさんの小さな火山が噴火し、活火山・阿武火山群ができた。

萩の大地の土台はアジア大陸のかけら(約1億年前〜7000満年前)

アジア大陸の東のはしでは、流紋岩マグマが地下の浅いところにマグマ溜まりをつくり激しい噴火をくりかえした。その結果、陸上には火山灰や溶岩の厚い地層ができた。一方地下のマグマ溜りは固まって花崗岩になった。指月山は、花崗岩でできており、地下深部にあったマグマ溜りがみえている。

(約1億年前)萩は現在の朝鮮半島の東側にあった。今から約2200万年前に、アジア大陸の東の端が分裂し1500万年前には日本列島は現在の場所に移動してきた。

割れ目噴火でできた見島(約1200万年前〜820万年前)
大陸の分裂によってうすく引きのばされた地殻の下では、上昇してきたマントルが融けて玄武岩マグマができた。このマグマは地殻を破って割れ目噴火をおこした。空中に高く噴き上げられたマグマの破片は火山弾や火山灰となって地表に降りそそぎ、地表に流れだした大量のマグマは玄武岩の溶岩台地をつくった。

阿武火山群は活火山(約200万年前〜1万年前)
約200万年前〜150万年前、玄武岩マグマがあちこちに玄武岩の溶岩台地をつくった。約80万年前から再び玄武岩マグマが活動をはじめ、溶岩台地やスコリア丘を作った。その後、安山岩マグマは、萩六島のような溶岩台地をつくった。

萩三角州(約2万年前〜現在)
指月山から続く菊ヶ浜は、約4500年前から広がった砂州である。菊ヶ浜の向こうには三角州が見える。三角州は阿武川が運んできた土砂によってつくられた。阿武川は、徳佐盆地に出来た堰止湖が、長門峡付近で決壊し湖水が流れ出してできた川である。徳佐盆地を日本海に向って流れていた川を堰き止めたのは、津和野付近に噴出した青野火山群の溶岩ドームである。

特徴的な形状の萩六島が眼下に見える

笠山山頂園地の一画に設置された古いベンチ

「萩国際観光ホテル楽天池」は今夜の宿である「夕景の宿 海のゆりかご 萩小町」の前身。
昭和25年創業の老舗ホテルだったが資金繰りに行き詰まり平成18年に倒産した。
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