徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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新見市防災公園と大本八幡神社

午後1時を少し回った頃、新見市の国道180号線沿いにある「新見市防災公園」内の東屋で休憩。コンビニで買ったサンドイッチと缶コーヒーの昼食を済ませる。

広い駐車場にはトラックと軽乗用車がそれぞれ1台のみ。
公園敷地には広い芝生スペースがあって気持ちがいい。

公園から鳥居が見えたので神社まで歩いてみる。
扁額には大本八幡神社と白文字で書かれている

立派な石灯籠。
裏側に明治二十八年九月建之の文字が読める

「杉谷八幡神社随神門」の看板が掲げられている

こちらは拝殿正面にある「大本神社随神門」

拝殿
「神は人の敬によって威を増し人は神の徳によって運を添う」
と墨書された白板が釘で打ち付けられている

本八幡神社本殿
祭神は品陀和気命(ほむたわけのみこと)
第十五代応神天皇である。

遠山美都男著 「天皇誕生ー日本書紀が描いた王朝交代」

律令国家と天皇ーその誕生の物語より抜粋

…ところで、皇后オキナガタラシヒメ(神功皇后)が生んだというホムタノ天皇こと応神天皇は、早くから「胎中天皇」とよばれていた。というよりも、応神天皇は「胎中天皇」という特異な名前によって、その存在が語り伝えられていたのである。
「胎中天皇」とは「腹のなかにまします天皇」ということであり、「母の胎内にいる時から天皇」だった人物という意味である。応神は当初から、「生まれながらにして天皇と定められていた人物」と語り伝えられていたことになる。あるいは、「生まれながらの天皇」という設定が最初にあって、それに続いて、いわゆる応神に関する個人的な所伝が創造・形成されたのかも知れない。
「生まれながらの天皇」といった場合の天皇とは、日本列島のみならず朝鮮半島をもしたがえる大国の君主としての天皇(律令制度の最高首長としての天皇)ということである。応神が生まれながらにして、そのような天皇であったということは、日本列島の軍事的平定は、景行・成務両天皇の時代に完了しているのであるから、それに継起したとされる朝鮮半島の軍事的平定は、応神が誕生する以前、すなわち彼が母の胎内にいる時に果たされなければならないことになった。それも、征討を行なったのは余人であってはならず、応神の母自身でなければならなかったのであろう。
 神功皇后朝鮮出兵の物語は、七世紀の後半、唐・新羅によって滅ぼされた百済を救済するために大軍を率いて九州まで行った斉明女帝(宝皇女たからのひめみこ。天智・天武両天皇の母)をモデルにして創られたものではないかという説がある。『日本書紀』の描く神功皇后像に斉明天皇のイメージがまったく投影されていないとはいい切れない。しかしながら、朝鮮半島に攻め入った神功皇后が身重のからだであったという設定は、現実の斉明女帝とはおよそ無縁のものであって(斉明はすでにこの時、六十歳を超えていた)、神功皇后伝承の成り立ちのすべてを、斉明女帝の存在や彼女による百済救援の史実によって説明し尽くすことは不可能である。
 このように、朝鮮半島の平定が、特定の天皇ではなくて皇后、しかも臨月を迎えていた皇后によってなされたという荒唐無稽ともいえる筋書きは、応神に冠せられた「胎中天皇」という尊称から論理的に考え出されたということができる。神功皇后という母親は、何と、そのむすこである応神天皇から生み出されたといえよう。子が母を生むという、物語世界ならではの逆転した関係がそこにはある。

天皇誕生―日本書紀が描いた王朝交替 (中公新書)

天皇誕生―日本書紀が描いた王朝交替 (中公新書)