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旧三瓶トンネル

西予市三瓶から愛媛県道30号線を宇和町方面に進行、新三瓶トンネル手前を右折、左手の産廃施設を通り過ぎた後、山道をしばらく走ると旧三瓶トンネルがある

【案内看板より】

登録有形文化財

三瓶隧道

所在地   西予市宇和町郷内
登録年月日 平成二十三年七月二十五日登録

三瓶隧道は、西予市宇和町と同三瓶町を結ぶトンネルです。
出入口とも西予市宇和町に位置しながら名前は三瓶隧道となっています。
大正五年(一九一六年)八月十七日起工、大正六年十二月十六日竣工。起業者は三瓶村(現、西予市三瓶町)となっていて、工事費総額五万五千円のうち、三瓶村一万三千百円、山田村六千二百五十円、笠置村二千六百五十円(いずれも現、西予市宇和町岩城地区)、県費三万三千円と県費を除く約六割を三瓶村が負担しています。
完成後は、三瓶尋常高等小学校で「三瓶トンネル開通の歌」が「水師営の会見」(※1)の節で歌われたとのこと。
当時の三瓶村にとって待望の隧道であり、負担の多かった三瓶村の名が冠されたのです。
ちなみに工事を請け負ったのは、間(はざま)猛馬氏。
明治二十二年(一八八九年)に九州門司に間組を創業した土佐の人物です。
昭和六十三年頃までは県道として使用され、現在は市道となっています。
隧道の延長約三一七㍍、坑高(内法高うちのりだか)、約四㍍、幅員(内法幅)約四㍍。側壁を垂直にしたアーチ断面になるレンガ積みのトンネル。坑門はアーチと壁柱を石積みで造り、壁面を煉瓦で飾り、帯石上に「三瓶隧道」の扁額を掲げています。
保存状態も良く、当地における産業、技術、経済、文化などを今に伝える貴重な土木遺産です。

※1 明治三十八年(一九〇五年)、日露戦争中に日本代表の乃木希典、ロシア代表のステッセルが会見し、旅順港攻防の停戦条約を締結。水師営は中国遼寧省旅順にある。
会見の様子は、佐々木信綱作詞、岡野貞一作曲による「水師営の会見」という文部省唱歌に描かれている。

西予市教育委員会

ハザマ沿革

水師営の会見

三瓶町側正面から撮影
高さ制限の看板に隠れて扁額が見えない

竣工からまもなく100年になる内部の様子をフラッシュ撮影。
入口付近中央部は漏水がひどく、素早く通りぬけないとずぶ濡れになるほどだ

「大正六年十月竣工」の銘板

眼下に見えるのは、南予エコ(株)の産業廃棄物処理施設
南予エコ(株)破産手続き開始決定 <産廃処分場>

煉瓦造りのトンネルを通り抜け宇和町側に出た。
画像右手に地蔵が2体安置されている

宇和町側坑口付近からみた県道260号と(一)狭間上松葉線宇和町郷内の標識

宇和町側の道路脇には、江戸時代に建立された地蔵が数多く立ち並んでいて、かつては難所だったであろうことを想わせる。
数多い怪奇話をでっち上げるには恰好のロケーションと言える。


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