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王墓山古墳公園にて

「市民バス空海号」王墓山古墳前停留所

王墓山古墳(おうはかやまこふん)

【墳丘に設置された陶板の解説文より】
史跡 王墓山古墳

【昭和59年11月29日指定 昭和61年度〜平成3年度:保存整備事業実施】

王墓山古墳では昭和57年度に発掘調査が行われ、古墳時代後期(6世紀前半)に造られた前方後円墳であることが明らかになりました。

施錠された玄室入口から内部を撮影

墳丘の頂上から善通寺市街方向を望む。
善通寺五重塔が画面中央奥に見える

駐車場の方向を眺める

【同じく墳丘に設置の陶板解説文より】
弥生時代の集団墓 3世紀頃

昭和62年度に古墳周辺の発掘調査を行い、王墓山古墳が造られる以前の箱式石棺や竪穴式石室が15基発見されました。
これらのうち13号墓と14号墓は山側に溝が掘られており、小規模な墳丘を持っていたようです。時代はいずれも弥生時代終り頃(3世紀頃)のものと考えられます。
ここで発見された多くの様々な形をした墓は、古墳時代以前に少しずつ力を持ちはじめた首長がいたことを示しており、有力者の墓が古墳へと発展していく過程を知る上で大変貴重な遺跡です。
現在、遺構保護のため、発見された集団墓は全て埋め戻してありますが、その位置や大きさがわかるように盛り土をして表示し、4号墓と12号墓はその様子を地表に再現してあります。

1992.3.31 
文化庁
香川県教育委員会
善通寺市教育委員会

【公園入口の案内看板より】
王墓山古墳(6世紀)

王墓山古墳は有岡地区中心の小丘陵上に築かれた前方後円墳で、早くから注目されており、大正時代には貴重な史跡として報告されています。この古墳は昭和57年に発掘調査され、石屋形を持つ横穴式石室の内部から、豪華な副葬品が多数発見されましたが、中でも金銅製冠帽(きんどうせいかんぼう)や銀象嵌(ぎんぞうがん)された刀剣・金銅製馬具などは、古墳時代の工芸技術の高さを知るばかりでなく、大和政権の勢力伝播、つまり中央と地方豪族の関係や当時の社会情勢を知る上で極めて貴重な資料なのです。
横穴式石室はその上部が後円部の一部と共に失われていましたが、昭和61年度から平成3年度までの6年間にわたる整備事業によって、築造当時の状態に復元されました。
また整備事業の際に、この丘陵上に築かれた弥生時代の集団墓も確認されましたが、古代の墓制を研究する上で重要視されており、古墳と共に整備されています。

※史跡の中にも説明板があります。どうぞご見学下さい。

※古墳保護のため古墳の上には登らないで下さい。

善通寺市 平成4年度

公園入口の注意書きは当然最初に読むべきだったが、もはや後の祭り