徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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川内峠と生月大橋

平戸の絶景スポット、標高200mの「川内(かわち)峠」にて

草原に立つ2つの石碑。
左の建物は川内峠インフォメーションセンター

【案内看板より】

吉井勇歌碑 昭和32年7月5日建立

Isamu Yoshii Poem(Tanka) Monument

「山きよく 海うるわしとたたえつつ 旅人われや 平戸よくみむ」 
           歌人 吉井 勇(1886〜1960)

 この歌は、この川内峠(かわちとうげ)から望む風景をこよなく愛した晩年の吉井勇が、感動のなかで詠んだもので西海国立公園のすばらしさが表現されています。
 この歌碑は、昭和32年(1957年)吉井勇と親交が深かった当時の
平戸市長山鹿光世(やまがてるよ)が、平戸全島を探し回りようやく平戸島南部地区「堤」の海岸で発見し、苦労しながらこの地に設置したと言われています。
 吉井勇は、除幕式の挨拶の中で、この歌碑を「空前絶後」と賞賛し、永く忘れることができないだろうと表現しています。
                          平戸市

吉井 勇 歌人、劇作家。
1886年(明治19年)東京生まれ。
1907年(明治40年)早稲田大学文学部高等予科に入学。後に
中途退学。
1905年(明治38年)東京新詩社に加わり、「明星」に歌を発表、
明星歌人として出発する。やがて東京新詩社を脱退し、北原白
秋らと「パンの会」を結成、耽美派文学の一翼として多彩な活
動を展開。
1909年(明治42年)に森鴎外のもと、石川啄木らと文芸誌「スバ
ル」を創刊、編集に当たる。
 勇の放蕩三昧の生き方は処女詩集「酒ほがひ」(明治43年)
となり、歌壇的な位置を確立する事になった。以後、「昨日
まで」、「祇園歌集」、「人間経」、等多くの歌集を出版した。
一方、当時の新劇運動に刺激され、スバルに戯曲「午後3時」、
を掲載して劇作家としても名乗りをあげ、「夢助と僧」、「狂
芸人」、等ぞくぞくと発表、歌業を中核とし、戯曲、小説、随筆、
歌謡と幅広いジャンルで活動、多くの作品を残した。
1948年(昭和23年)から歌会始の選者をつとめる。
1960年(昭和35年)74歳で亡くなる。

【碑文より】

義人の魂は
神の御手にあり
いかなる責め苦も
彼等にふれる
ことはできない
(知恵の書3・2)

長崎大司教
里脇枢機卿

古江湾の方角を見下ろす。
コンクリート工場(港祐産業㈲)の桟橋が見える

生月大橋に到着

【案内プレートより】

 生月大橋(田中賞受賞作品)

 生月大橋は、3径間連続トラス橋としては、中央径間が世界最長のものです。
本橋は、昭和55年着手以来10年の歳月と総事業費111億円を投じ平成3年7月完成した。

 生月大橋の概要

路線名   主要地方道平戸生月線
橋 長   960m
幅 員   6.5m (車道2.75m 路肩0.5m)×2
橋梁型式  3径間連続トラス
事業主体  長崎県土木部 長崎県道路公社

(土木学会田中賞)

 この賞は、土木学会が橋梁構造工学界の権威者、故田中豊博士の功績をしのび、優秀な業績に対して贈られるものです。

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