徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kが徘徊中

横溝正史疎開宅付近

ときおりぱらつく小雨の中、大池の土手近くに設置された「おりん」像のかたわらにて

【モニュメントの解説文より】

おりん(横溝正史悪魔の手毬唄』より)

ちょうど峠のてっぺんあたりで、金田一耕助はひとりの老婆とすれちがった。老婆は手ぬぐいを姉さまかぶりにして、背中に大きな風呂敷包みを背負っていた。そのために上体をふたえに折りまげるような姿勢で歩いてくるので、顔はまるで見えなかった。

 静養をかねて金田一耕助が訪れた鬼首村(おにこべむら)。過去に未解決の殺人事件が起こったこの村で、重要人物であるおりんさんと金田一耕助がすれちがうシーンです。この後、村では恐ろしい事件が起こることとなります。
 作品では、鬼首村は四方を山にかこまれた兵庫県岡山県の県境にあるとされています。

(平成二四年九月二九日 巡・金田一耕助の小径実行委員会)

おりんの背景としては夕暮れか曇り空が良く似合う。
角川映画市川崑監督作品中では岸恵子扮する「おはん」

【案内看板より】

濃茶のばあさん

 この小さな祠(ほこら)は、江戸時代藩家老が旅路で病に苦しんだ時、茶店の老婆の親切でその地の神社に祈願し、平癒したので帰国後奥方は祠を立て、その神体を勧請したと伝えられ、土地の人は「濃茶のばあさん」としてまつり、供え物が絶えなかったという。
 横溝正史は、この話をヒントに名作「八つ墓村」に濃茶の尼を登場させた。

横溝正史疎開宅の門口が画像左奥に見える

「正史散策の道」の案内看板

【案内看板より】

倉敷市横溝正史疎開

〜名探偵金田一耕助誕生の家〜

世界的な推理文壇の大御所横溝正史氏とその一家は、太平洋戦争末期の昭和二十年四月、東京での戦禍を避けて、ここ真備町岡田で約三年半の疎開生活を送った。
 当時、軍部の圧力で探偵小説を書くことができなかった正史は、岡田地区の人と交わり、畑でジャガイモ作りなどに精を出した。しかし、いつの日か本格的な長編作品を書きたいと考えた正史は、東京から運んだ蔵書を読み、地区の親しかった人達から農村の因習、農漁民の生活などの話を聞き、作品の構想をあたためた。
 戦後、正史が日本で初めて本格理論的な推理小説を拓いた「本陣殺人事件」「獄門島」「八つ墓村」など多くの名作が、この地で発表され世界の文壇に踊り出た。
 名探偵・金田一耕助は、「本陣殺人事件」で磯川警部と共に初めて正史作品に登場した。正史の日記によると彼・耕助は、昭和二十一年四月二十四日この家で生まれたことになる。   倉敷市文化振興課

倉敷市真備町金田一耕助誕生の地」
横溝正史氏はここで疎開中、戦後初の長編推理小説を発表しました。

玄関先には「金田一耕助」と「横溝正史」の表札が

杉本一文原画展ポスターより】

横溝正史倉敷市真備町での疎開中、小説「本陣殺人事件」などの金田一耕助シリーズを発表し、新見市にも映画やドラマのロケ地があります。
 今回は、横溝作品の表紙絵を手掛けた杉本一文氏の原画展を、中国地方で初開催。岡山が舞台の作品を中心に、約50点の原画を展示します。 杉本氏が描く妖しくも美しい、「金田一耕助の世界」をぜひお楽しみ下さい。

横溝正史疎開当時の平面図

障子に映る金田一耕助のシルエット

遺品として寄贈された横溝夫婦の着物が展示されている「正史執筆の間」より庭を見下ろす

【説明文より】

着物姿で庭の石に腰掛ける正史。
現在と変わらない庭の様子がうかがえる。

【案内パネルより】

生い立ち

正史は、明治三五年五月二五日、神戸市東川崎で、父宣一郎、母波摩の三男として生まれた。上に異母兄歌名雄と姉冨重、兄五郎がいた。宣一郎は岡山県浅口郡船穂村字柳井原の旧家出身。波摩は岡山県吉備郡豪農の出身。明治二九年に郷里を出奔し、神戸に落ち着いたもので、父は伊勢鉄工所という川崎造船所の下請け工場の支配人をし、母は家業として生薬屋を営んでいた。
五歳のときに生母波摩を亡くした。翌年に、岡山県吉備郡久代村出身の浅恵を継母として迎えた。この夫婦は後に弟武夫、博と早世した妹をもうけた。

※「悪魔の手毬唄」で青池リカの息子として歌名雄が登場する。
珍しい名前なので未だ記憶に残っているが、正史自身の異母兄の名だったことを知る。

疎開中の横溝正史一家

【案内パネルより】

探偵小説への芽生え

正史は小学生のとき初めて、三津木春影や黒岩涙香の翻案ものに魅せられ、探偵小説のマニアになった。
 大正四年、神戸二中へ入学。同窓の親友西田徳重と三宮の古本屋で外国雑誌をあさり、外国探偵小説を読み、語り合い、探偵小説のトリックについて競い合った。また、二人の少年は後に日本でも人気を得たビーストンの作品を発掘した。

江戸川乱歩氏(左から2人目)と共に

【案内パネルより】

岡山への疎開終戦

昭和二〇年四月、東京が空襲で大被害を被った報道を読んだ岡山の親戚から疎開の勧誘をうけた正史は、かねて瀬戸内海を舞台にしてディクスン・カー式本格探偵小説を書こうという考えを抱いており、岡山-瀬戸内海-孤島との連想から、疎開を決意し、同年四月、岡山県吉備郡岡田村字桜に疎開した。
 同年八月、同地で終戦を迎えた正史は、以降昭和二十三年八月までその地で暮らした。
 三年余りの疎開生活は、土地の人のあたたかい人情にふれ、また因襲的な農村の生活をつぶさに見る機会に恵まれたことにより、後の著作活動に大きな影響を与えた。

本年(2016年)3月29日来訪の石坂浩二

金田一耕助に扮装してお食事中(ピンぼけで失礼)

【案内パネルより】

金田一耕助の活躍

「本陣殺人事件」でデビューした金田一耕助の素朴な風貌は印象的で、以後「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」「女王蜂」「悪魔が来たりて笛を吹く」「三つ首塔」「悪魔の手毬唄」「白と黒」などの長編をはじめ、「夜歩く」「蜃気楼島の情熱」「首」などの多くの中短編でも活躍し、名探偵の代表的存在となった。
 これらの作品は、多くは論理的興味を中核とした、日本の風土と前近代的国民性に根ざしたもので、その構成力とロマン性は他の作家にはみられないものである。

【案内パネルより】

特別展示
横溝正史疎開時代の恩人、加藤一」

加藤一(かとうひとし:一九〇九〜一九九五年)

加藤一さんは、疎開宅の近所に住み、横溝正史一家と深い交流をもった方です。
 岡山県の真鍋島(笠岡市)、野馳(新見市)などで青年学校の教師をされていた加藤さんは、岡田(倉敷市)をはじめとするこれらの地域の歴史や文化について、横溝さんにお話されました。こうした会話がヒントとなって、「本陣殺人事件」をはじめとする数々の名作が生まれたのです。 横溝正史さんは、加藤さんのことを次のように回想されています。
「ああ、加藤一さん。
私の疎開生活でいちばん大きな収穫は、このひととの出会いであったろう。このひとなしには『本陣殺人事件』も『獄門島』も『八つ墓村』もうまれず、したがって現在の私のブームもなかったであろう。それらの農村や風物詩は、おりにふれて一さんの語ってくれた人情風俗におうところが多く、また意識的にこちらから教えを請うた部分も少なくない。」
(角川文庫『金田一耕助のモノローグ』)

疎開宅での写真をもとに立体化されたモニュメント

【記念ストラップの説明書きより】

金田一耕助の誕生の地 桜へようこそ!

一つ一つ心をこめて手作りした桜の花のストラップが出来上がりました。
「桜地区」と「金田一」をイメージしています。
 来館記念にお持ちいただけましたら幸いです。

 横溝正史疎開宅管理組合

疎開宅」管理人様へ
色々とお話を聞かせて貰ったうえ、お茶まで出して頂きありがとうございました。記念品のストラップは大事に使わせて頂きます。

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