来島にて その2
とりあえず島の西側の海岸に沿って歩いてみる。
【案内看板より】
来島城跡
伊予水軍一千年の歴史の中で、時に南北朝時代には村上水軍と称して、来島、能島、因島に分かれ、強大な勢力を誇った。来島氏は、この島を本城とし、島々に城砦を築き、海上を支配していた。戦国時代には八幡台菩薩の旗印を押し立て、朝鮮、支那沿岸にまで押しかけ、倭寇として恐れられ、勇名をあげた。徳川時代、遂に九州豊後の山奥に移され、伊予水軍の歴史は終わった。この絵図は来島氏の城砦図で山上は幾段にも仕切られた跡があり磯には館の柱穴の跡が多く残り、島内には矢竹なども生えている。
最近では見ることが少なくなったなまこ壁が崩れかけて残っていた
道端に繁茂するアロエが赤い花を咲かせていた
風に乗って飛散してくる塩水の為せる業か、板壁全体が猫が爪とぎしたような状態になっている
ソーラーパネルの向こうにようやく人の気配が感じられる家を見つけた。玄関先には三輪自転車も駐まっている
家々は連なっているものの、三輪自転車の家より奥側で外から在住が確認できたのは1軒のみだった
家並みと共に風化が進みつつある電動車椅子「マイピア」
こういう場所を散策する際には、大げさなくらい色々な音を発しながら歩きつつ、見える範囲の人影にはすべて大声であいさつすることを心掛けている。いうまでもなく、泥棒と間違われないためだ。
防波堤の上を行き止まりまで歩く。
右向かいに見えるのは桧垣造船波方工場
一番奥の家の内庭に面した木立の枝に巻かれた赤いビニール。
「ここではあそばない」と書かれている
防波堤から道路に降り立ち、港の方向に引き返しながらもう一度ドンづまりの方を眺めてみる
この間、島民とおぼしき方と挨拶を交わすこと一度のみ。
正午を過ぎたので、腹ごしらえしてから城跡と東側の海岸に行ってみよう