海の王迎駅と王無の浜
「土佐くろしお鉄道」の「海の王迎駅」
風雨にさらされ消えかけた【案内看板より】
王無浜
元弘二年(1332年)三月、北條氏の専横により、後醍醐天皇の第一皇子一の宮尊良親王(たかよししんのう)は土佐の畑に遠流(おんる)の身となられ、若宮は佐々木判官時信らに警護され「一の宮はたゆとう波にこがれ行く身を浮船に任せつつ土佐の畑へ赴かせ給」(太平記巻四)同月下旬この浜に御上陸なされた。
時に奥湊川の領主大平弾正一族がお迎え申し上げ程なく馳参した有井圧の庄司有井三郎左衛門尉豊高らに警護され山路踏みわけ今に残る「弾正横通り」を踏破して弾正の館にお着きになった。
以来若宮は北條方の監視きびしい中を「王野山」に「米原の里」にと移りかわる行在所で京の都を恋いつつ、二歳近い配所の日々をお過ごしになられたのである。
尊良親王御上陸地の石碑