久万高原町の大成神社その2
金属製の振り子が風に揺れることにより、振り子と隣接する複数のステンレス製パイプが接触し、鐘がなっているように聴こえるモビール状の装置(境内に3ケ所ほど設置)から発せられる金属音以外、境内に音はない。
広大なこの施設を徘徊しているのは間違いなく自身だけなのを静けさから確信する
奥に見える建物は惟神殿(すいしんでん)
一段上のフロアにある「聖天子像」に向かって歩く
灯籠が立ち並ぶ最奥に銅像が見える
銅像裏の碑文「景仰の記」
この場所から御神体が見下ろせる
引き返す途中、来るときに見た案内看板を思い出し参道から脇道に入る
【案内看板より】
剣の御所は昭和二十年八月大東亜戦争終結のとき 政府首脳から 皇統護持の秘命を受けた剣部隊司令、源田 實(みのる)海軍大佐が血盟の部下二十三名とともに、宮崎県の秘境 上穂北村杉安の里に、土地の素封家 後口 茂大人の献身的な協力により造営した行在所(あんざいしょ)である。
同年九月二十七日 連合軍最高司令官マッカーサー元帥が昭和天皇と会見し、陛下のご聖徳に接した元帥は天皇制存続を決定した。
この日本民族の歴史的にも貴重な文化財を永久に保存するため平成九年二月行在所造営の第一候補地であったこの地に遷座した。
剣の御所保存顕彰会
会長 久松定成
従三位 勲二等 空将 源田實先生埋髪塔
皇国の生命に生きむ
自が身は
天津御親の
赤子なりせば
そろそろ帰ります
今一度、巨大な鳥居を振り返る
ありがとうございました