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久米官衙遺跡群

国道11号線松山市内に向かって走ると右手にユニクロ松山久米店が見えてくる。国道から見てユニクロの真裏に位置する場所に久米官衙遺跡群と来住廃寺跡がある。

久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡 来住廃寺跡(以下「久米官衙遺跡群」と省略)は、古代の官衙(役所)跡やその関連遺構(久米官衙遺跡)とそれに続く古代の寺院跡(来住廃寺跡)により構成されています。
松山平野南東部、堀越川と小野川に囲まれたこの来住台地の上に、東西約500m×南北約400mの範囲に渡って広がる、広大な規模を持つ遺跡群です。
これまで行われた久米官衙遺跡群周辺での数多くの調査によって、この遺跡群には主要なものだけでも、官衙の中枢施設である「政庁」、当時の税である米を蓄えるための倉庫が整然と並んだ「正倉院」、方一町(一辺約100m四方)規模の回廊状の外周施設及び溝を持つ「回廊状遺構」等の区画された施設や、回廊状遺構に一部重複し、これの廃絶後に造営された古代の寺院跡で、金堂や講堂が伴う「来住廃寺跡」等の存在が分かっています。
久米官衙遺跡群のうち、来住廃寺跡(約12,000㎡)については、白鳳期(7世紀中頃〜8世紀初頭、約1,300年前)における古代地方寺院の成立、展開を解明する上で重要な遺跡であるとして、昭和54年に国史跡に指定されました。さらに、その後の長年に渡る調査により、来住廃寺跡に一部重複し、これに先行して造られた官衙跡やその関連遺構によって構成される久米官衙遺跡が確認されました。そして、これらが、我が国の古代律令体制の成立前後とその後の確立期(7世紀中頃〜8世紀初頭、約1,300年前)に至る地方官衙のあり方を具体的に示す貴重な遺跡群であるとして、平成15年及び平成17年に久米官衙遺跡の主要部分(約20,000㎡)が国史跡に追加されました。
史跡指定地内やその周辺には、今後の調査によって多くの発見が期待される未調査の場所がまだ多数あり、その遺構や遺物は地下に存在しています。また調査が終わっている場所についても、遺構は地下に保存されています。そのため、むやみに土を掘ったり、石木竹等の採取を行ったりせず、みんなで文化財を大切にしましょう。

松山市
松山市教育委員会

案内看板がなければ草ぼうぼうの空き地にしか見えない。
構造物の区画を表す木の杭が唯一古代遺跡の存在をうかがわせる。

史跡久米官衙遺跡群全体図
※画像クリックでオリジナルサイズを表示

史跡 来住廃寺跡

金堂跡

右前方に見える高まりは、来住廃寺の金堂の基壇(建物の土台)跡です。発掘調査で、建物の柱を据える礎石などが見つかりました。礎石の配置から、金堂は真北方向に建てられ、周囲に庇(ひさし)がついていたことなどが明らかになっています。