徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

仰西渠

砥部町から国道33号線久万高原町に向かう。
三坂峠中腹から見た松山市

久万新四国高野山太子堂の白い看板のある道を矢印通りに左折してしばらく進むと左手に仰西渠の看板が見える。

【案内看板より】

郷土をひらく久万の用水路

ここを流れる用水路が造られた江戸時代は、米は年貢(税)として武士におさめる大切なものでした。人びとは、とても重い税のために、なんとかして水田を広げて、米のとれ高をふやそうと努力しました。
入野地区のような、やや高いところへ水を引くには、久万川のずっと上流のこの地から用水路を引くしかありません。
最初、人びとは、川の上流に堰を造り、かたい岩山のところは筧(かけい)を使って水を引こうとしたようですが、筧は台風や大雨、強風などでこわれたり、流されたりすることが多かったようです。修理する費用や時間もなく、水がなければ稲は育たなくなってしまいます。人びとのくらしはたいへん苦しいものだったようです。
人びとの苦しい生活をみかねた山之内仰西は、用水路を造り、入野地区まで水を引こうと考えて、かたい岩山を切り開く工事にとりかかりました。
はじめは、仰西や石工だけで行っていましたが、「石粉一升、米一升」のアイデアにより村人の協力がえられました。そのうち、米をめあてにしていた人も、心から水を求めて仕事に取り組むようになり、ついに用水路は完成しました。この後は、米の取れ高も安定し、くらしはずっと良くなったそうです。
その後人びとは、この用水路を「仰西渠」と呼ぶようになりました。「仰西渠」は、山之内仰西や地域の人びとの「郷土を思いやる心」がひとつになって、造ることができた用水路です。

仰西渠の大きさ
●長さ/約57m
●はば/約2.2m
●深さ/約1.5m

今から350年余り前に作られた手掘りの農業用水路

水路のすぐ横を久万川が流れている