前置きが長くなったので、ここからは羅漢像を貼っていく。
ロープウェイ乗り場の方向に向けて延々と居並ぶ等身大よりやや大きめの羅漢像
「千と千尋の神隠し」に出てくる頭(かしら)に似ている
真面目くさった表情の羅漢が間抜けな顔の動物にまたがっている図が面白い
一番のお気に入りがこれ。
ガマガエルを肩に乗せた羅漢がるんるんしている。
赤子を抱く者、獅子を抱く者、猿を抱く者、鳥を抱く者、ガマ蛙を抱く者…
ここまで並ぶと壮観というしかない。
わざわざ来た甲斐があった。
【案内看板より】
羅漢様。 らかん様。 ラカンサン。
羅漢さん、という言葉は私たちに親しい。子供の頃からなじんでいて郷愁にも似た響きがある。日本中何処に行っても羅漢さんはいらっしゃる。五百羅漢さんは「野の仏」然として並んでいるし、十六羅漢さんは彫刻や絵画、襖絵などに姿を見せている。
羅漢さんの表情は千差万別である。彫刻した石工たちが自分の知り合いの人をイメージして彫ったのではないかという。庶民的な顔ばかりである。この点、沈潜と静まりかえった表情の下に限りない智慧と慈悲を秘めた仏・菩薩像とは雰囲気ががらりと変わっている。目を見開いたり細めていたり、哀しげな表情を見せるかと思うと刺すような目つきで私たちを眺めたりしている。
自由奔放な羅漢さんの表情の中に、しかし、共通なものが一つある。眼だ。さまざまな表情の中に眼だけはしっかりと私たちの心を見ている。
喜怒哀楽の表情の中に、私たち人間の性を見ぬき、その愚かさを嘆き、悲しんでいる眼がある。いや、人間の悲しさと愚かさを知り、しっかりと生きていけと言わんがためにこそ、私たちの心を映した表情を見せている、という方が正しいのかも知れない。
そう。それもその筈なので、羅漢さんとは仏法を守護し、私たちを救ってくれる聖者なのである。