徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

天草へ(最終回)

牛深港に着いたのは12:00ちょうどの便が出航した直後だった。

頭上に見えるのは牛深ハイヤ大橋の高架

次の便まで1時間以上あるので、とりあえず切符だけ買っておいてどこかで食事を済ませることにした

天草・牛深港(熊本)⇔長島・蔵之元港(鹿児島)
大人¥480+原付¥520=¥1,000

牛深港に向かう道すがら黄色い看板に長崎ちゃんぽんの文字が眼についた、久玉町の国道266号線沿いにある「中華レストラン東天紅」まで引き返す。
地元客でそこそこ賑わう店内に入り、メニューを見ることなくちゃんぽん800円也を注文して待っていると、表に駐車したYBRの四国ナンバーを見たらしく、店主とおぼしき中年男性が寄ってきて、自分の母親の出身は愛媛の宇和島市であること等を話しだした。
昼食時なのでそのうち次々に来客があり、ちゃんぽんも運ばれてきたので店主は厨房に引込みこちらは食事に集中し速やかに完食。

再びフェリー乗り場に着いたのは12:45。
次の便まで30分以上あるので港の付近を散策する。

天草市 牛深ハイヤの像

【碑文の解説より】
牛深ハイヤ節は江戸時代、弁才船の船乗り達によって日本各地の港に伝播したことから、全国の津々浦で歌い継がれているハイヤ節系統民謡の源流と云われています。
「ハイヤ ハンヤ は何処でもやるが、牛深ハイヤは元ハイヤ」
のお墨付きを民謡研究家の(故)町田佳聲(まちだかしょう)先生からいただいており、同じく竹内勉先生の著書『はいやおけさと千石船』でもその証を得ています。

牛深ハイヤ節

ハイヤエーハイヤ
ハイヤで今朝出した船はエー
どこの港にサーマ入れたらエー
エーサ牛深三度行きゃ三度裸
鍋釜売っても酒盛りゃして来い
戻りゃ本渡瀬戸かち渡り

現在の牛深ハイヤ踊りは昭和三十六年に「牛深民謡保存会」(光彩会・早水社中・古川社中)の努力により、伝統的民俗芸能として継承され、今日では天草市観光になくてはならないものとなっております。
牛深ハイヤ保存会は「うず汐会」(会長浦田智美女史)から発展した「牛深民謡保存会」の発足から始まり今年で、五十周年を迎えました。
今後、牛深ハイヤが天草市の宝として輝きを保ち続け、次代へ継承されることを願い、平成二十三年の「第四十回牛深ハイヤ祭り」、「牛深ハイヤ保存会五十周年」を記念しこの碑を建立します。

平成二十三年三月吉日
天草市長 安田公寛

本家本元牛深ハイヤ節

牛深ハイヤ像の背後に停泊するのは漁業取締船「昇鶴」

船橋のガラス窓ごしに双眼鏡で油断なく海上を見張る当直員の姿を確認。

青い立看板には「島原・天草・長島 架橋を実現しよう」の黄色い文字。
橋でつながればたしかに便利にはなるが、この港湾風景が無くなってしまうと思うと複雑な気分ではある。

漁業監視船の背後を廻って牛深漁港を眺める

埠頭に腰を下ろして景色を眺めていたらいつの間にか乗船待ちの車列に5台ほどのバイクが並んでいた

13:20、他5台のバイクと共に乗船後、客室デッキに陣取る

出港時刻がやってきた。
名残惜しいがもうじき天草とお別れだ

牛深ハイヤ大橋のループ部を船上から眺める

関西国際空港を手掛けた、イタリアの建築家レンゾ・ピアノ氏の設計によって平成9年8月に完成

のどかな昼下がりの船内客室の様子

わずか30分の船旅なので、ゆっくり腰を据えてくつろぐ暇はない。
進行方向のデッキに廻って長島方面を眺める

蔵之元港が見えてきた
空の青とエメラルドグリーンの海が眩しい

13:50ちょうどに蔵之元港に接岸

14:00少し前に鹿児島上陸
今回のツーリングはここがゴールである。
ゴリラの前で記念撮影

【案内板より】

ながしま造形美術展作品
この作品は、平成23年10月22日から30日間、太陽の里ピクニック広場で開催された「第14回ながしま造形美術館」に出品された作品です。この美術展には、123点の作品が並べられ10万人を越える来場者がありました。
町民総参加で2年に一度開催されるこのイベントは、地元にある素材をベースに町内の公民館や小・中学校、PTA、団体などが趣向を凝らし、手間ひまかけて完成させた努力の結晶です。

作品名:「ゴリラ」
製作者:蔵之元自治公民館
材料名:鉄筋・杉の葉・他
大きさ:たて(奥行き)4.5m、よこ2.5m、高さ3.5m
制作日数:20日
長島町

目玉の塗装が剥がれてきたせいなのか悲しげな表情に見える

山の上に向かって続く石段に赤い鳥居が2つ

もう一度フェリーターミナルを振り返る

ひとしきり周囲の風景に名残を惜しんだあと国道389号線を出水市に向け走りだす

このあとは一枚の画像もない。
14:00過ぎに蔵之元港を出発したあとは休憩なしで
国道389号⇒国道3号⇒国道57号⇒国道10号⇒国道502号⇒国道217号をひたすら佐賀関港に向け走り続けたためだ。
この日20:00前後の阿蘇市山間部は気温6℃。
予想外の寒さのため途中で停車し、ネックウォーマー他ありったけの防寒グッズ+長袖Tシャツを重ね着して走りだす。
佐賀関港に辿り着いたのは蔵之元港を出発してから約8時間後の21:58。
既に閉ざされていた乗車ゲートを開けてくれるというので、その間に慌ただしく乗船手続きを終え無事22:00の便に乗船。
70分余りの乗船時間中に自販機のカップうどんを腹に流しこむ。
予定より6分遅れの23:16分三崎港着。
その後国道197号⇒国道56号⇒国道11号をひた走り自宅に帰り着いたのは10月17日の午前03:30。
14日夜からの総走行距離は1,200kmだった。