首切峠
峠脇の旧道より香川県道17号府中造田線首切峠を望む
一、造田城は、この城山の頂上にありました。
ニ、この峠を首切峠といい、道路の上に、首切地蔵が安置されています。
三、戦に敗れて、処刑された所でしょうか。
【石碑裏の碑文より】
通解 勝山
一、土佐の長宗我部元親の壱萬弐千の大軍が、旗を押し立てて急に攻めてきました。
ニ、造田城では、羽床城へ出兵して、城には僅かの番兵しかおらず、敵の放った火矢によって、城は燃えかけました。戦国の世のならいとして、天守閣に火がつけば、負けという掟がありました。
三、時は天正七年(一五七九)桜花の時であります。
四、造田備中守は、もはや之までと、城中に火を放って自害しました。
五、家来が主の亡骸を背負い、西分の角内に埋葬したと、系図に書いてあります。
平成十三年七月吉日