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武田信勝公之墓所

愛媛県道154号線から朝倉ダム方向に枝分かれする道に左折。
道しるべに従いながら進み龍門隧道なる短いトンネルを抜けると左手に石碑が見えてくる

龍門山城主 武田信勝公之墓所

昭和五十七年九月二十三日
武田近江守信勝公四百年祭記念
龍門武田同族会建立

玉垣に彫られた四つ割菱の家紋が確認できる。

【案内看板より】
武田信勝公 墓所
信勝公は伊予の戦国大名河野氏に属し、永禄5年(1562年)竜門山城主となる。
天正10年(1582年)来島通総(くるしまみちふさ)来攻により落城し、自刃(じじん)す。
嫡子信吉(富若丸)は無量寺で成人し、郷代官をつとむ子孫は代々庄屋職を継ぐ。
墓碑は、宝暦年間(1750年頃)水之上大庄屋らによって、黒谷川(鮎帰りの滝)の近くに建てられ(あいがりさん)と呼ばれ祀られた。
昭和51年(1976年)朝倉ダム建設に伴い、この地に移転し武田同族会により整備された。

石灯籠に彫られた明和九年(西暦1772年)の文字
亡くなったのが1582年であれば190年後に建てられたことになる。

伊予河野氏と中世瀬戸内世界―戦国時代の西国守護

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