美保関灯台
夕方4時半少し前にクルマもまばらな美保関灯台駐車場に到着
灯台と日本海が一望できる展望デッキには、女子大生らしき3人組と出張でやってきた営業マンとおぼしきスーツ姿の中年男性5人組の先客が
【展望デッキの傍らに立つ警告看板より】
警告
アワビ・サザエ・ウニ等の不法採捕は犯罪です!!
違反した場合、最高で3年以下の懲役または200万円以下の罰金が科せられることがあります。
遊漁者の皆さんへ
〜貴重な磯資源を守るため、海のルールを守りましょう〜
この海岸には、漁業法に基づいて「第一種共同漁業権」が設定されています。これに定められたアワビ・サザエ・ウニ等の動植物の採捕は漁業者(組合員)以外は禁止されています。
また、遊漁者の方の採捕が認められている水産動植物についても、島根県漁業調整規則で遊漁者が使える漁具・漁法が制限されています(例えばアクアラングなどの潜水器、かご及び水中銃等を用いた採捕は禁止)。
これらに違反した場合、漁業法及び島根県漁業調整規則の規定により、最高で3年以下の懲役または200万円以下の罰金、またはこれらの併科をされることがあります。
漁業協同組合JFしまね美保関支所
島根県・境海上保安部・松江警察署
※漁場での巡回を実施しています。
【展望デッキ付近に立つ案内看板より】
大山隠岐国立公園 地蔵崎園地案内図
地蔵崎園地のある島根半島は、昭和38年に大山国立公園に島根半島・隠岐・三瓶山の3地区を併せて「大山隠岐国立公園」に指定されました。
この地蔵崎は古くは「三保之碕」と呼ばれていましたが、この海域を往来する船舶の事故が絶えなかったので、航海の安全祈願のために多くのお地蔵さまが岸壁や波打ち際に奉納されるようになったことから「お地蔵さまがある岬」ということで中世以降から「地蔵崎」と呼ばれるようになりました。
【案内看板より】
地蔵崎
大山隠岐国立公園島根半島の最東端に位置するこの岬からは、晴れた日には日本海はるか沖に隠岐の島じまも望むことができます。
地蔵崎の東北約3kmの海面には「沖の御前島」と呼ばれる小島が浮かんでおり、「出雲国風土記」には、「等々島(とどじま)」と記されています。この島はその昔、美保神社の祭神である事代主命(ことしろぬしのみこと)が魚釣りを楽しんだところといわれており、現在でも、この島の周辺は絶好のつり場となっています。
また、境港と隠岐を結ぶ隠岐航路は、地蔵崎とこの島との間を通過しています。
灯台敷地へ続く正門に到着
【案内看板より】
美保関灯台 施設の概要
初点
明治31年(1898年)11月8日
位置
北緯35度33分51秒 東経133度19分41秒
構造
白色 塔形 石造
灯質
単閃白光 毎12秒に1閃光
光度
460,000カンデラ
光達距離
23.5海里(約43.5キロメートル)
高さ
地上〜頂部 14.00メートル 水面上〜灯火 82.91メートル
管理事務所
第八管区海上保安本部 境海上保安部
0859-(42)2534
条件が整えばここから隠岐が見えるらしい
【案内看板より】
美保之碕の由来
島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕(みほのさき)」と呼ばれています。
出雲国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
この鳥居の中央約四キロ先に浮かぶ島を「沖之御前(おきのごぜん)」、眼下に横たわる島を「地之御前(ちのごぜん)」といい、共に事代主神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年五月五日には美保神社で事代主神とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎神事が続けられています。
夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出を拝むことができます。
沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。又、この島の海底には常に神楽の音のような響があり神異奇瑞の島として今に伝えられています。
この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和四十八年十二月設置したものです。
ひと通り見て回ったので、今度は自然探勝路を通って駐車場に向かう
正門の向こうに見えるのは「美保関灯台ビュッフェ」の入り口。9月〜6月の営業時間は16時までなのですでに閉まっていた
【駐車場に設置された案内看板より】
嶋根郡(しまねのこおり)
出雲国風土記に書かれた、奈良時代(西暦8世紀頃)には、島根半島の東部は「嶋根郡」と呼ばれていました。これは、現在の八束郡美保関町、同郡島根町、同郡鹿島町の東部、松江市東部に当たります。
風土記の国引き神話では、ここ地蔵埼は「美保の埼(みほのさき)」と呼ばれ、出雲国の創始者八束水臣津野命やつかみずおみつぬのみこと(大国主命)が「高志(こし)の都都(つつ)の三埼(みさき)」から切り取って引いてきた、とされています。「高志の都都の三埼」は能登半島の石川県珠洲市と考えられています。実際に北陸地方との交流は盛んだったようで、出雲からは北陸地方から持ち込まれた土器などが出土しています。
嶋根郡は隠岐国へわたるルートとして重要な地でした。美保関町千酌には「千酌駅(ちくみのうまや)」が置かれ、船や馬が配備されていました。
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