徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

三滝神社付近にて

【案内看板より】

三滝渓谷とシルリア紀石灰岩

多くの伝説を秘めた淵の連なる三滝渓谷は新緑紅葉の季節はもとより四季折々の景観は素晴らしく町内随一の景勝地である。
また渓谷の下流にあるシルリア紀石灰岩(県指定文化財)はハチノスサンゴなど床板サンゴ類に属する我が国最古級の化石も発見されている。
景勝地とともに地質学上からも興味深い渓谷である。

紅葉照る九十九淵の三滝渓
歴史と化石に残るサンゴ類   城川かるた

ハチノスサンゴについて

【案内看板より】

「二見滝の虹しぶき」の伝説

中野川から落ちる右の滝つぼがナベ淵、窪川から落ちる左のトックリ淵、二つの滝を一目で見られるので二見滝という。
ことなった谷から落下する滝を見られるのは、全国でもまれなことであるという。
トックリ淵の上にヨゼン淵、豊親様が水に入り行をされたというカンス淵、ヨゼン淵の水煙かすむところに、ひずめのような小洞があり石を投げ入れるとよい嫁さんを迎えられるとか、いつでも満石である。
ヨゼン淵は石鎚山の登山者が身をきよめていく処だといわれている。(土居郷土誌)

右側のナベ淵を正面から撮影
この周辺はあたり一面苔に覆われている

案内看板によればマイナス空気イオンが−8730個/cc(非常に多い)。
当日は外気温35℃超えで湿度も高く、涼しさは僅かしか感じられなかった。滝壺に降りて足でも浸してみようかと考えたが、すでに蚊にまとわりつかれているので諦めて山道を更に上っていく。

【案内看板より】

県指定 記念物(天然記念物)

三滝城の大いちょう

所在 西予市城川町窪野
指定 昭和二十六年十一月二十七日

この樹は雌樹で、三滝城旧二の丸にあり、高さ約四十メートル、根まわり約八、六メートル、目通り約七、四メートル、枝張り半径約十五メートル、地上八メートルにて二大幹となっている。推定樹齢五百五十年。
昔からこのいちょうの木を煎用すれば、母乳の少ない人に卓効があると伝え来られ、木を削り取った跡が散見される。

天正の昔、三滝城主紀親安(きのちかやす)公が土佐長宗我部元親の軍勢に攻め立てられ、城中より討って出て依岡左京、依岡三郎と戦って、武運つたなく敗れ、この大いちょうの樹の下で自害し果てられたと伝えられる。
御年三十二歳、一朝の露と消えられたことにちなむ霊木として、今日まで里人の尊崇の厚い大樹である。

樹下の石碑には
 『陰山の花は咲けとも 散りくちて 草の都の花さかり見む』
親安公の辞世の歌碑が建てられている。

親安の 最期を語る 大銀杏
(城川かるた)

西予市教育委員会

静まり返った廟の前で、一人辞世の句に感じ入っていたら、うっかりして大いちょうの撮影を忘れた

【案内看板より】

市指定 有形文化財(建造物)

林庭院

所在地 西予市城川町窪野
指定  平成元年2月21日

三滝城主紀親安の廟。
碑石にのちの庄屋、矢野惣左衛門景遠同惣之蒸景長父子が願主となり、宝暦十三年(一七六三年)親安の命日に当る正月十三日追塔焉とあるから、親安没後百八十年後の建立となる。
建物は平成二年原型のままに再建されたが、その原型は明治二十四年(一八九一年)の改築であったから、それまでにも幾度か改築があったものと思われる。
碑文正面中央が親安公の林庭院日殿蹄正春大居士であるが、その左頓秀山花大姉は奥方の菊の方、その右月峯正詠上座は、長男正親を合祀したものといわれている。    

西予市教育委員会

反対側に回ると波三の紋

裏手には往時を留める長い石段が三滝神社の境内に続いている

この暑さの中、汗にまみれて石段を登る気にはなれないのでバイクにまたがり境内入口まで車道を走る

ほんの2分ほどで三滝神社境内に到着

拝殿を見下ろす

拝殿内部を撮影。
悠仁(ひさひと)親王秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子

「榊でない逆木」
昭和15年に支柱として立てた杭がいつしか根づいて芽が出来、木になっためずらしいものである

老朽化した本殿は、風雨から守るため覆屋(おおいや)で囲まれている

1年を通して湿気が多いせいか拝殿に続く石段も苔で覆われている

「林庭院」から続く石段を登り切ったところにある鳥居

さきほど見上げた石段を上から見下ろす
自然石を組み合わせた険しいものだ

八つ鹿踊り《愛媛県 県民投稿チャンネル》

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