本因坊秀策
弓削島を一周したあと、佐島・生名島もそれぞれ周回したのち因島に渡るため立石港に戻る
往復分を購入したきっぷを係員に手渡し、再びフェリーの最前列に陣取る。
正面右手に見えているのは「因島総合病院」
「ここは海抜2.5mです。6.9m以上の所に避難して下さい。」
境内にある本因坊秀策顕彰碑
【案内看板より】
本因坊秀策
1829年尾道市因島外浦町に生まれ幼名を虎次郎と言い、母が囲碁を好んだ気質を受け、6才ですでに近郷に敵なく1841年に名を秀策と改め1年に1段づつ昇段し、15才で4段の免許を得ました。
秀策が20才の時、本因坊家の跡目と決められ、その後6段位を受け本因坊丈和の娘、花と結婚しました。
1848年御城碁に始めて(←原文のまま)参加して以来13年間に不敗19連勝という前人未到の記録を作りましたが、1862年江戸にコレラが流行して34才で亡くなりました。
境内社の稲荷神社
少し歩いて「本因坊秀策囲碁記念館」へ
囲碁記念館から地蔵院へ誘うように、墓への案内板が配置されている
このあとは特に予定もないので、昼下がりの陽射しが照りつける中を案内板に従って歩いてみる
道すがらにある地蔵院の人生訓掲示板。
墓参りするほど懇意な仲でもなし…などと考えつつもさらに歩を進める
強烈な陽射しに照りつけられながら歩いたため、墓石見物する熱意はほぼ消滅。
どこかから流れてくるAMラジオに耳をすますと、中国放送ではなく聴き慣れたMBS(毎日放送)の番組だった
コンクリート製にしか見えない?どこかユーモラスな造形の仁王像が待ち受ける地蔵院に到着。
本因坊秀策の墓はここからさらに歩く必要があるためこれにて引き返す
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本因坊秀策の墓碑