鴫山の姫塚
西予市三瓶町から県道26線で八幡浜市に向かって走っていると、左手に見えてくる採石場入口付近に「鴫山公園」「鴫山姫塚」2.3km⇒と書かれた茶色と白の道標が見えてくる。
この道は過去何度も通ったことがあるが、今まで案内板に気づかず通過するだけだった。
道標に従って県道から左手に折れ、山道を進んでいくと右が姫塚、左が鴫山公園の丁字路に。
とりあえず鴫山公園に行ってみることにして左折、しばらく進むとまた道標が
道標通り300mほど走ると開けた場所に出たが、あまり管理されている様子はなく「元公園」というべき状態
見るべきものは無さそうなので姫塚を目指して引き返す。
5分ほど走ると案内看板がある墓地入口に到着した
墓地入口の【案内看板より】
町指定 有形文化財
お姫様の塚(姫塚) 指定 昭和四十五年二月一日
言い伝えによると、昔、京都の公家のお姫様が癩病(ハンセン病)にかかられ、手当のしようもないままうつろ舟に(空っぽの舟)に乗せられ流されました。
陸地に着くと、その土地の人々に舟を押し出され、陸に上がることができませんでした。ついに白石の浦につきましたが、そこでも追い払われ、山を越えてここ鴫山へ来られました。
鴫山の人々は、姫に同情して、小屋を建て、「村養い」をしました。
姫はたいそう喜んで、ここ鴫山から永久にこの病が出ないようにと、亡くなるまで毎日、法華経を青く平らな石(緑色片岩)に写経しました。
姫が亡くなった後、写経した石で祠を建てようということになりました。
そうして出来上がったのがこの塚です。
正面から撮影しようとするとすぐ前にある蘇鉄のトゲが足に刺さって痛い。
赤色の奉納旗の中には子供の字で「お姫さま」と書かれたものもある
ここ鴫山の姫塚については愛媛県在住・坂井毅氏のブログに詳細な解説と氏の考察が述べられているので、興味のある方は以下のリンクをご参照下さい。
鴫山の姫塚について
墓地から県道に向かって引き返す道すがらにて。
この付近からだとほぼ正面にさざえが岳が遠望できる