徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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志々島へ(その2)

12~3人が志々島で下船したが、ほとんどの乗客が島民かその親族らしく、手に手に飲料水の箱や買い物したスーパーのビニール袋をぶら下げている。

この日の観光客はたぶん自身を含めたおっさん3人のみ

「大楠の島」志々島へようこそ!f:id:YBR125K:20190315173044j:plain

とりあえず「志々島のお墓」に行ってみるf:id:YBR125K:20190315173208j:plain

墓地に向かう道すがら、葉牡丹と菜の花と6体ほどの案山子がお出迎えf:id:YBR125K:20190315173421j:plain

去年訪れた来島同様、現存する住宅は大半が空き家のようだf:id:YBR125K:20190315173604j:plain

墓地が見えてきたf:id:YBR125K:20190315173743j:plain

鮮やかな水色に塗られた屋根f:id:YBR125K:20190315174036j:plain

 木材が腐って崩壊寸前の小屋もf:id:YBR125K:20190315174317j:plain

 屋根の補強のため細紐で板が縛りつけてられているf:id:YBR125K:20190315174602j:plain

墓地のすぐ前には煌めく初春の海があるf:id:YBR125K:20190315174726j:plain

墓地に隣接する句碑

【碑文より】

小野蒙古風、本名寛一 大正二年七月一日
香川県三豊郡高瀬町に生る。
昭和十四年、茨城県の満蒙開拓幹部訓練所に入所、中隊付となりハルピン、嫩江訓練所を経て大興安嶺の麓、蒙古人放牧地帯に入植し、大和訓練所を設立。
その頃、俳句新聞で加藤楸邨の巻頭となり「寒雷」創刊とともに参加す。
昭和二十一年十月、帰国。
而後、新生活とともに県内外の現代俳句界にて活躍、指導的存在となる。 昭和五十五年五月一日未明永眠。享年六十六歳。
生涯、自己の信念を抂げず、俳句とともに濶達に生く。  
   
    昭和五十七年九月二十三日

    設立者 月曜会
        代表  小川津彌
            岩崎邦恵
            曽根保子
            上田マツエ
    後援詫間町長  松田幸一
       草主催  今井誠人
       讃文者  永田敏之

かの嶺に この嶺に野火 よじのぼるf:id:YBR125K:20190318205306j:plain

 両墓制について 

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