志々島へ(その2)
12~3人が志々島で下船したが、ほとんどの乗客が島民かその親族らしく、手に手に飲料水の箱や買い物したスーパーのビニール袋をぶら下げている。
この日の観光客はたぶん自身を含めたおっさん3人のみ
「大楠の島」志々島へようこそ!
とりあえず「志々島のお墓」に行ってみる
墓地に向かう道すがら、葉牡丹と菜の花と6体ほどの案山子がお出迎え
去年訪れた来島同様、現存する住宅は大半が空き家のようだ
墓地が見えてきた
鮮やかな水色に塗られた屋根
木材が腐って崩壊寸前の小屋も
屋根の補強のため細紐で板が縛りつけてられている
墓地のすぐ前には煌めく初春の海がある
墓地に隣接する句碑
【碑文より】
小野蒙古風、本名寛一 大正二年七月一日
香川県三豊郡高瀬町に生る。
昭和十四年、茨城県の満蒙開拓幹部訓練所に入所、中隊付となりハルピン、嫩江訓練所を経て大興安嶺の麓、蒙古人放牧地帯に入植し、大和訓練所を設立。
その頃、俳句新聞で加藤楸邨の巻頭となり「寒雷」創刊とともに参加す。
昭和二十一年十月、帰国。
而後、新生活とともに県内外の現代俳句界にて活躍、指導的存在となる。 昭和五十五年五月一日未明永眠。享年六十六歳。
生涯、自己の信念を抂げず、俳句とともに濶達に生く。
昭和五十七年九月二十三日
設立者 月曜会
代表 小川津彌
岩崎邦恵
曽根保子
上田マツエ
後援詫間町長 松田幸一
草主催 今井誠人
讃文者 永田敏之
かの嶺に この嶺に野火 よじのぼる
両墓制について
四国新聞ニュースサイト 21世紀へ残したい香川