徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

松山市北条辻の鹿島にて(その3)

鹿島一の眺望が望める島の西側は落石、土砂の崩落の危険があるため通行止めになっているがf:id:YBR125K:20190418211840j:plain

先行するカップルの後につかず離れずついて行くf:id:YBR125K:20190418212030j:plain

台風時の漂流物に直撃されたらしくアルミ製の欄干はあちこち曲がっているf:id:YBR125K:20190418212435j:plain

海蝕洞の入り口にかかるコンクリートf:id:YBR125K:20190418212806j:plain

水晶ケ浜までに数箇所の海蝕洞を通過f:id:YBR125K:20190418213110j:plain

玉理(ぎょくり)・寒戸(かんど)島からなる夫婦岩が見えるf:id:YBR125K:20190418213443j:plain

石門と呼ばれていた場所が見えてきた

愛媛新聞ON LINEより鹿島の名勝地「石門」崩れる f:id:YBR125K:20190418213650j:plain

生々しい崩落の跡f:id:YBR125K:20190418213750j:plain

ネットの内側に土の塊がf:id:YBR125K:20190418213937j:plain

砂に描かれた先行者の落書きf:id:YBR125K:20190418214047j:plain

【碑文より】

鹿に聞け

 潮の秋する 

  そのことは

松根東洋城f:id:YBR125K:20190418214337j:plain

 【碑文より】

三由淡紅を賛う

氏は北条に生まれ十五歳にして村上齋月に師事す。常に鹿島を愛し、私財を投じて周遊道の整備架橋等を行、分月斗、虚子、東洋城、為山等、文人墨客を招聘し、鹿島の顕彰に勉む。大正六年、虚子鹿島に来遊の際洞を淡紅洞石橋を白石橋と名つけ以って氏の労をねぎらう。今この石橋を○にし碑を作り淡紅の美挙を永くここに止むf:id:YBR125K:20190418220544j:plain

 【句碑より】

 裏山に

  ひびく神鼓(しんこ)や

   青嵐(あおあらし)

      三由淡紅

次は展望台まで登ってみるf:id:YBR125K:20190419180749j:plain