松山市北条辻の鹿島にて(その3)
鹿島一の眺望が望める島の西側は落石、土砂の崩落の危険があるため通行止めになっているが
先行するカップルの後につかず離れずついて行く
台風時の漂流物に直撃されたらしくアルミ製の欄干はあちこち曲がっている
海蝕洞の入り口にかかるコンクリート橋
水晶ケ浜までに数箇所の海蝕洞を通過
玉理(ぎょくり)・寒戸(かんど)島からなる夫婦岩が見える
石門と呼ばれていた場所が見えてきた
愛媛新聞ON LINEより鹿島の名勝地「石門」崩れる
生々しい崩落の跡
ネットの内側に土の塊が
砂に描かれた先行者の落書き
【碑文より】
鹿に聞け
潮の秋する
そのことは
松根東洋城
【碑文より】
三由淡紅を賛う
氏は北条に生まれ十五歳にして村上齋月に師事す。常に鹿島を愛し、私財を投じて周遊道の整備架橋等を行、分月斗、虚子、東洋城、為山等、文人墨客を招聘し、鹿島の顕彰に勉む。大正六年、虚子鹿島に来遊の際洞を淡紅洞石橋を白石橋と名つけ以って氏の労をねぎらう。今この石橋を○にし碑を作り淡紅の美挙を永くここに止む
【句碑より】
裏山に
ひびく神鼓(しんこ)や
青嵐(あおあらし)
三由淡紅
次は展望台まで登ってみる