徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

井上公園にて

ホテル10階の自室で一息つき、荷物を片付けつつ窓から見下ろすと部屋の直下に大きな石碑が見えた。夕食前の散歩がてら、日のあるうちに公園に行ってみることにした

比較対象物が付近にないのでサイズがわかりにくいが結構な大きさだ。井上公園はホテルニュータナカの真裏に位置するf:id:YBR125K:20201027210858j:plain

【案内看板より】

七卿遺蹟之碑 意訳

 元帥陸軍大将大勲位功ニ級載仁親王篆額(てんがく)
嘉永安政の時期、外国との関係も事多く、国論もまだ定まらない中、徳川幕府天皇の許しを待たずに欧米諸国との条約を結び、国内は騒然となった。この時にあたり、祖父の敬神は尊皇攘夷の説を大いに唱え、公卿の多くはその事に賛成し、三條中納言等七卿が主となり、遂に大和行幸のお告げがあった。しかし既に朝廷の会議は俄に変わり、七卿が朝廷に参上することを停止し、長州藩の官門警備を免じた。それが、文久三年八月十八日であった。七卿は、中納言三條、中納言西季知、左近衛少将東久世通禧修理大夫任生基修、侍従四條隆謌、右馬頭錦小路頼徳、主水正澤宣嘉であった。七卿は長州藩とともに皆愕然とし出る所を知らず、鷹司関白邸に到着して、朝廷の会議の真意を問うても要領を得ないので、退いて妙法院に入った。みんなが言うには、ここにいて思わぬ禍があると後日の計画に奔(はし)ることが出来ないと、七卿はそこではじめて決意し、長州藩に身を投じた。防府に来て、のち山口に移った。又、長府に移り、慶応元年の正月、さらに筑前におもむいた。長州藩にとどまること、およそ一年半。この間、澤卿が去り、錦小路卿が逝った。五卿は忠義を尽くすことの思いがいよいよ深く、憂国の思いは時に言葉や文章にあふれた。そこにおいて藩をあげたますます奮起し、天下饗応し、遂に中興の気運を開き、維新の功績を助けた。偉大であるというべきか。このごろ、防長の有志が諮り、湯田の高田殿跡地北隣の地をトし(ぼくし)、碑を建てその遺蹟を傳(つた)えることになった。思うに、七卿遺蹟は防長各地に散在するが、高田殿は三條卿のために修築し、その寓居にあて、他の諸卿はまた常に集まってここで国事を議論した。すなわち、遺蹟の中でも最も傳えるに足りるものであろうか。有志は私に碑文を頼み、私は祖父が七卿と同じに国事に尽瘁(じんすい)したことで、断ることは出来ず、すなわちその概要を記して與(あた)えるものである。


     大正十四年一

正二位勲二等 公爵 毛利元昭 撰文        

従二位勲一等 男爵 野村素介 書

 

井上肇 1835-1915f:id:YBR125K:20201027211717j:plain

銅像脇の碑文より】

井上肇

天保六年(一八三五)十一月、萩藩士井上五郎三郎の次男としてこの地で生まれました。俊才を認められ藩公の小姓役となり、幕末国事多難の折、同士らと共に国事に奔走、大義を唱えました。伊藤博文らと共に英国に留学し、帰国後藩論沸騰の際に当り、市内中讃井で反対派の壮士数名に斬り付けられ瀕死の重傷を負いましたが、名医都太郎の手当によりあやうく一命をとりとめました。やがて藩内で正義派が大勢を占めるようになり四境戦争、鳥羽伏見の役に出陣するなど、明治維新の大業推進に貢献しました。
 明治維新後は新政府に仕え大阪造幣局を創立、ついで民部大輔、大蔵大輔となり廃藩置県を成し遂げました。明治十八年内閣制度が成立、はじめての外務大臣となり、その後、農商務、内務、大蔵大臣などを歴任。後、実業界に転じて大いに力を尽くしました。
 晩年は元老として政財界に重要な地位を占め、明治四十年(一九○七)功により侯爵となり、大正四年(一九一五)興津で没しました。

 

【碑文より】

 所都太郎は天保九年、美濃国赤坂に生まれた。
長じて京都に出 医学を学び さらに大阪の適塾で西洋医学 洋学を修め 学・術ともに精進した 京都で医院を開いたが 長州藩の京都邸の近くであったので 藩の邸内医員を委嘱された 尊皇の志が篤く 長州藩士と深く交って時勢を通観し 医業をやめて国事に尽くそうとし長州に来住した 下関の攘夷戦にも参加し 七卿西下に降してはその医員を命ぜられた
 元治元年九月 井上肇の袖解橋の遭難には ただちに駆けつけ 数か所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術をなし 瀕死の井上を奇跡的に救った 後年の井上の業績を思うとき この所の治療を忘れてはならない
 慶応元年正月 高杉晋作が兵を挙げ 藩の俗論党と戦った時 所は迎えられて遊撃隊の参謀となり 高杉に協力した 
 その後幕府の長州征伐に備えて 軍を進めようとして時 にわかに病んで 吉敷の陣中で没した 二十七歳であった 
 明治になり特旨をもって従四位を贈られた

 (大垣市赤坂町本陣公園内の銅像を元に彫刻)f:id:YBR125K:20201027212005j:plain

 

公園内には足湯がある。靴下を脱いで湯に足を浸けながら先客のおばさんとしばし談笑。話によれば毎日来ているらしい。ほんの少し熱めの湯は気持ちがいいf:id:YBR125K:20201027212823j:plain

今まで萩や下関は何度も訪れたことがあるが山口市は素通りばかりだった。

着いたばかりだがこの街が好きになった。

 

日も暮れかけてきた。さてどこで飲もうかf:id:YBR125K:20201027234740j:plain

 

 

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