徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

香山公園と瑠璃光寺その2

【案内看板より】

Yamaguchi View Spot No.01

国宝瑠璃光寺五重塔

ここ香山(こうざん)公園には、国宝の瑠璃光寺五重塔があります。その美しさは日本三名塔に数えられ、春の桜や初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、一年を通じて様々な姿を楽しむことができます。水面に映る逆さ五重塔や、毎日日没~数時間ライトアップされ、暗闇に浮かび上がる姿も幻想的です。f:id:YBR125K:20201029210450j:plain

【案内碑文より】

日本の歴史公園100選

香山公園

 この香山公園は、歴史的・文化的資源を適切に保存・活用しながら、公園として一体性のある整備がなされていることが評価され平成十八年十月、都市公園法施行五十周年を記念し、「日本の歴史公園百選」の一つに選定されたものです。

        山口市f:id:YBR125K:20201029211328j:plain

【案内看板より】

雪舟は応永二十七年(一四ニ〇)に備中の国に生まれた。長じて僧となり京都の相国寺に入って、禅学と共に画技を学んだ。

その後四十才前後に山口に来て天花の雲谷庵に居を定め、画筆に親しんだ。

応仁元年(一四六七)大内氏の遣明船にのって中国に渡り、絵の修行に励むと同時に中国の風物に接した。

文明元年(一四六九)日本に帰った雪舟は山口に居住していたが、その後漂泊の旅に出て、再び山口に戻ったのは文明十八年(一四八六)頃と思われ、雲谷庵をアトリエととして多くの傑作を残している。有名な国宝「四季山水図」もこの年に描いている。以後雪舟はあまり漂泊をすることもなく主として山口で製作を続けていたものと思われる。

雪舟の没年、場所については諸説があるが現在では永正三年(一五〇八)八十七才雲谷庵で没したというのが定説となっている。

雲谷庵は、この向の山裾に跡が残っている。

雪舟は朝な夕なそこから五重塔を眺め、山口の美しさを感じたことであろう。

五重塔に向かう道すがらに雪舟の胸像があるf:id:YBR125K:20201029213747j:plain

        

【案内看板より】

国宝 瑠璃光寺五重塔

明治三六年四月十五日 指定
所在地 山口市香山(こうざん)町

 この塔は、嘉吉(かきつ)二年(一四四ニ)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。
 高さは三十一・ニメートルで檜皮葺独特の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。塔の身部は上層にゆくにつれて思い切って間をつめているので、塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁匂欄(えんこうらん)があるので安定感が強い。鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、この塔は、大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄建なものである。この塔は大内義弘の菩提をとむらうためその弟の盛見がこの地にあった香積寺(こうしゃくじ)の境内に建立したものであるが、江戸時代の初めに」香積寺は萩に移り、その跡に瑠璃光寺が移ってきた。その後、「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれ、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並ぶ、日本の三名塔のひとつにも数えられている。f:id:YBR125K:20201029220823j:plain

 

場所柄か、はたまた日柄のせいか見物客は熟年夫婦と高齢者が目立つ。
五重塔から「満月の庭」と名付けられた芝生の脇を瑠璃光寺に向かって歩いていく。

「保寧山」と大書された扁額のかかった中門をくぐるf:id:YBR125K:20201029222751j:plain

【案内碑文より】

経塚 (五重塔)

国宝瑠璃光寺五重塔は、創建五五〇年(一九九ニ年)に当たり、これを記念して石造五重塔を建立す

永年にわたり維持保存に関与された諸先賢の霊を供養し 檀信徒並びに参詣者各位の先祖供養 家門繁栄 子孫長久を祈願して般若心経を書写し埋経す

平成四年十一月吉日

  曹洞宗 保寧山 瑠璃光寺 四十七世代

中門をくぐるとすぐ右手に石の五重塔があるf:id:YBR125K:20201029225418j:plain

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本堂へ続く石段の右手に閻魔大王と後生車f:id:YBR125K:20201029223418j:plain

【案内看板より】

見切り地蔵の由来(身代わり地蔵)

此の地蔵様は三百余年の昔よりすべての悪い因縁・病気・縁談・不幸等に見切りを付けたいと願う人々のために身代わりとなって下さる霊験あらたかな地蔵様であります。

御覧のように身体を二ヶ所横に切ってお救い下さるので見切り地蔵と申して居ります。

左手にある見切り地蔵f:id:YBR125K:20201029224208j:plain

確かに胴体が横に二ヶ所切れて(割れて?)いるf:id:YBR125K:20201029224341j:plain

 

【案内看板より】

 知足の手水鉢

 手水鉢の字と真中の口とを結んで字を考えて下さい。
我唯足知(われただたるをしる)となります。意味はお解りと思いますが、現実に感謝し不平不満を云わず、より前進を誓う言葉ではないでしょうか。
 この言葉は、お釈迦様が涅槃に入られる前、最後の説法「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中に言われた言葉で、この手水鉢は禅宗の寺にはよく使われています。
 特に石庭で有名な京都の龍安寺に置かれている手水鉢は水戸光圀公が寄進されたものです。
 このつくばい手水鉢は表千家型の配置です。f:id:YBR125K:20201030174927j:plain

柄杓に隠れて五の字が見えないf:id:YBR125K:20201030173307j:plain

本尊の薬師如来と参拝者f:id:YBR125K:20201029231741j:plain

 本堂前から参道を見下ろすf:id:YBR125K:20201030173716j:plain

出雲一畑薬師奥之院山口分院f:id:YBR125K:20201030173954j:plain

曹洞宗の開祖、承陽大師(じょうようだいし)が祀られているf:id:YBR125K:20201030174704j:plain

 

五重塔おせんべいf:id:YBR125K:20201030174136j:plain

 画像がイマイチだが、この屋根付き通路を通って金毘羅神社に向かうf:id:YBR125K:20201030202621j:plain