岩国城にて
ロープウェイのゴンドラを降りて
こんな感じの山道を淡々と上っていく
豊かな自然は生き物にとっても楽園
上るにつれて視界が段々開けてきて
岩国城が見えてきた
【案内看板より】
岩国城 Iwakuni Castle
初代岩国藩主吉川広家により1608年に作られた山城です。1615年の一国一城令によりわずか7年で破却されました。現在の天守は1962年に再建されたものです。
天守内には武具などを展示しており、天守最上階からは、岩国市内の眺望を楽しめるほか、城周辺では約400年前の石垣や空堀跡なども見ることができます。
受付でチケットを見せて
狭く急な階段を上っていくと
由緒ありそうな刀剣類が展示されているが、あいにくこの方面にはまったく疎いせいでたいした興味もない
【案内パネルより】
元和元年(1615)、江戸幕府により一国一城令が出され、各地の大名はその領国に応じて残せる城以外はすべて廃城とし、壊さなければならなくなった。このとき、岩国城を壊すよう毛利輝元らの命令があったが、吉川広家は周防国には岩国以外に城がないため、壊す必要はないのではないかと主張する。しかし、長門国では萩本藩の萩城を残すために長府の毛利秀元の城を壊さなければならなかったため、岩国の城も壊すようにと重ねて伝えられ、最終的に壊すこととなった。関ケ原の戦いで吉川広家が毛利輝元に相談せず徳川家康と密約を結んで以降、毛利氏の一族団結において感情的不和が心配されたため、その配慮もあって壊したともいえる。また、寛永14~15年(1637)にかけておこった島原の乱において、壊された城跡が再利用されたことから、石垣についても破壊が命じられた。これにより石垣も壊すこととなったが、山の麓に御土居がある東側の石垣が安全上残されたのをはじめ、壊されていない箇所もあることから、吉川広家が城の破壊に消極的で、対外的に破壊しなければならない最低限の範囲で破壊したことが分かる。なお、山上の城郭は失われたものの、御土居は藩主の居館であるとともに政治の中心地であったため、明治時代はじめまで残っていた。
吉香公園ではしゃいでいた子供達も上ってきたらしい
天守閣に設置された双眼鏡に100円硬貨を入れ、河原に駐めたバイクを確認してみたりして
三津浜港行きのフェリーの出港時間を思い出し、一瞬よぎるツアー最終日の侘しさを振り払いつつ足早に階段を降りていく
今年は全国的にクマ被害が拡がっている
さよなら岩国