陸奥記念館にて
本州と周防大島を繋ぐ大島大橋。
2018年10月、貨物船が橋梁に衝突して水道管他の設備が破壊された
19時10分の船にはまだかなり余裕がある。
陸奥記念館の閉館時間には間に合いそうにないが、日が暮れるまでには砲塔他の野外展示は見ることができそうだ
午後5時過ぎに陸奥記念館に到着
【案内看板より】
予科練とは海軍飛行予科練修生の略称なり
甲飛十一期生は昭和十七年十月一日全国より厳選され旧制中学(一六、七才)より五八五名土浦海軍航空隊に入隊す。
昭和十八年六月八日艦隊艦務実習の為、土浦航空隊より派遣の同期生一同は戦艦陸奥、長門、扶桑に分かれて乗船、陸奥に乗艦せる同期生一三五名中一ニ四名が陸奥と運命を共にする。
残る同期生一同は予科練卒業後各戦斗航空隊に配属となり比島台湾南洋沖縄本土防衛の各航空戦及び神風特別攻撃隊員として航空戦の主力として終戦までにニ三七名が戦死することに至って同期生のほぼ三分のニに当る計三六一名が散華する。
昭和五十三年六月八日生存同期生及び遺族により戦没同期生の鎮魂と恒久平和を祈念しこの緑の地に「若鷹の碑」を建立す。
生存者(戦後死亡十一名を含む)の氏名も碑に刻んでありますが、いずれ他界したらその魂はこの碑に戦没同期生と共に眠りたいとの念願から同期生全員に氏名を刻んであります。
沈没地点を指し示す矢印
陸奥記念館正面入口
本日は閉館しました
陸奥記念館入口に安置されている艦首錨
陸奥について