徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

小島(おしま)にてその3

【案内看板より】

南部砲台跡 Southern battery remains

この南部砲台は、小島の中で一番南側の砲台で規模も小さかったが、馬島から糸山間の来島海峡を防衛する配置にあります。

当時の日本(陸軍)は、帝政ロシアの東アジア侵攻に対して、国内の沿岸に防衛態勢として要塞の配備を進めました。
石垣の石は、当時1個が3銭で、人夫の賃金が27銭であったと伝えられ、小島要塞の全構築費用は、当時の金で30万円であったといわれています。
砲台の設計図は、陸軍工兵大佐上原勇作(後の上原元帥)によって作成されました。整地工事は広島側の業者が請け負った労力だけでは足りず、今治側からも数百人が参加し、明治33年(1900)に終わったとされています。
大砲の据え付け工事は軍の機密を保つため、要塞司令官と地元有力者が選定した作業人員で務め、厳しい秘密厳守を課し、近辺の地域住民にも守秘を強いていました。
 南部砲台跡には、竣工当時は軽砲(12cm加農砲)2門が備え付けられました。現在は、砲座跡と地下兵舎が残るのみであります。f:id:YBR125K:20201204205434j:plain

地下室跡f:id:YBR125K:20201204205621j:plain

内部に入ってみるf:id:YBR125K:20201204205730j:plain

外部と会話するために壁面に穿たれた連絡孔f:id:YBR125K:20201204205948j:plain

かつて12cmカノン砲が据え付けられていた砲座跡f:id:YBR125K:20201204210212j:plain

 午後1時を過ぎたので、この場所に座って今治市内で買ったおにぎりを手早く片付けたあと、島の頂上部に向ってまた歩きだすf:id:YBR125K:20201204211511j:plain

中部・北部砲台跡の道しるべf:id:YBR125K:20201204211731j:plain

付近に動物の気配を感じて立ち止まり、しばらく息を殺し耳をすましてみるが何も聞こえないf:id:YBR125K:20201204212145j:plain

今治市街方面を眺めるf:id:YBR125K:20201204212350j:plain

中部砲台跡が見えてきたf:id:YBR125K:20201204212453j:plain

中部砲台跡配置図f:id:YBR125K:20201204212554j:plain

【案内看板より】

中部砲台跡 Central battery remains

 小島の芸予要塞の中核をなす中部砲台には、この要塞の主砲である28cm榴弾砲6門が配備されていたほか、地下室や井戸、井戸水の浄化装置などが造られ、山頂には指令台が設けられていました。
 28cm榴弾砲は、角度をつけて発射した弾が放物線を描いて飛んでいく大砲で、海上からは見えない構造となっています。
 小島の要塞は、この場所で実戦に使われることはありませんでしたが、明治37年(1904)の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲の2門が旅順に運ばれ、旅順攻略に活躍したと言われています。
 現在では榴弾砲の砲座跡が残るのみでありますが、赤レンガ等で築かれた施設とともに貴重な遺構であり、当時の緊迫した様子を知ることができます。
 砲座跡奥の階段を山頂へ上がった指令台跡からは来島海峡のすばらしい眺望を満喫することができます。f:id:YBR125K:20201204212839j:plain

地下室跡f:id:YBR125K:20201204213004j:plain

司令塔跡への道しるべf:id:YBR125K:20201204213208j:plain

山頂の司令塔に続く横幅の狭い急角度の石段を登るf:id:YBR125K:20201204213350j:plain

あと一息で頂上だf:id:YBR125K:20201204213530j:plain

頂上手前に設けられた司令室の入口f:id:YBR125K:20201204213738j:plain

頂上にいる将兵に命令するための伝声管f:id:YBR125K:20201204213927j:plain

司令塔跡f:id:YBR125K:20201204214152j:plain

【案内看板より】

瀬戸内しまなみ海道・世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」が架かるこの海峡は、来島村上水軍の根拠地として、また、瀬戸内随一の海の難所として知られてきた。鳴門海峡関門海峡と並ぶ日本三大急潮は、ときには高低差4メートル、最強10ノットにも達し、狭く4つに分かれた水道に無数の渦潮を見ることができる。春から夏にかけ発生する濃霧も海難事故多発の原因となり魔の海峡とよばれてきた。1日1000隻以上の船舶が航行するこの海峡の中水道と西水道は国際航路に指定されている。中水道は潮の流れどおりに、西水道は潮の流れに逆らって、交互に一方通行となる世界でもここだけのルールがある。f:id:YBR125K:20201204214852j:plain

しばしの間眺望を楽しんだあと、来た道を引き返すf:id:YBR125K:20201204215042j:plain

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