小島大日堂
徳島県三好市東祖谷和田にかかる第一小島橋のたもとにある四国交通の小島バス停。
1日4便が運行されている
下を見下ろすと足がすくむ高さの橋上で絡み合う火の用心ののぼり
←大日堂参拝入口の矢印に従って橋のつけ根を山に向かって進む
バス停のすぐ近くにある「休憩所」
4桁のみの電話番号が時の停止を感じさせる
狭隘な山道を1kmほど進むと赤い奉納幟が両側にはためく参道に到着
やや小ぶりなサイズの鐘楼が見えてきた
中西重行氏奉納の手洗石
【案内看板より】
阿波は、祖谷、小島というところ清き流れのみなもとは、はるか
雲間の寒峰に発し、鐘の首の漁渕に鳴りをひそめ、にわかに
白泡となってかけくだり、ややあって、祖谷川にそそぐ小島谷の
ほとり、在所開いて、小島、里の江、佐野、つずろう、これらを合
わせて小島名という。 いつの頃よりか堂床というところ
(下西家のそば)に仏像をおわせり、朝な夕な里人の願いを一心にあつめ、やがて心の安らぎをめぐみたもう。と これすなわち本尊大日如来である。
光輝普遍 光明遍照 大日の霊験(てんかん・ひきつけ)
あらかたにして むれつどう人々堂城にあふれ思案の果は
衆徒合議藩政末期適地を求めて現在地に移すと伝う
くだって昭和に入り檀徒の願意動かしがたく、この地にて
梵鐘を鋳造、昭和二年(一九二七)三月二十八日、これを完成
鐘楼に納めしも第二次世界大戦中金属献上の役により
姿を消し、現在のそれは戦後の寄進によるもので、高田市在住
鋳物師老子次右衛門の作なり。 祖谷にては阿弥陀如来、
薬師如来はあちこちに拝されるものの大日如来はここ一ヶ所にて広く世人の崇敬をあつめ近郷在住にその比をみない堂宇である。陰暦三月二十八日、七月二十八日を縁日と定め、善男善女の参籠は後をたたず、相撲などの催しもあってにぎやかである。
願わくば現世の罪科を許しもろ人ともに大光明を与え給え。
(多川春武先生記) ※原文のまま
大日堂正面
境内に佇立する弘法大師像