徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

志々島へ(その4)

「利益院」廃寺をあとにし、古い墓石の並んだ石段を上るf:id:YBR125K:20190321155517j:plain

経年により字が読めなくなっているものが多く、今や「元墓石」というべき状態だf:id:YBR125K:20190321155750j:plain

背もたれがハート型にくり抜かれたベンチが海に向かって設置されているf:id:YBR125K:20190321155827j:plain

せっかくなのでベンチに座って志々島港を見下ろしてみるf:id:YBR125K:20190321155946j:plain

奥行きの広い石段をさらに上っていくf:id:YBR125K:20190321160025j:plain

 ひとしきり上ったあと案内看板にしたがい細い山道を下るとf:id:YBR125K:20190321172743j:plain

巨大な楠が見えてきたf:id:YBR125K:20190321172929j:plain

 以下【説明板】より

一、名称 県指定天然記念物 志々島の大くす

二、指定の年月日 昭和四十五年四月二十八日

三、指定の理由 県下でもまれに見る巨樹かつ老樹であり学術上貴重である。f:id:YBR125K:20190321211818j:plain

根本の周り 12mf:id:YBR125K:20190321212025j:plain

枝張り(全国でも有名)

東 25mf:id:YBR125K:20190321213217j:plain

西 20mf:id:YBR125K:20190321213918j:plain

南 17.5mf:id:YBR125K:20190321213825j:plain

北 26mf:id:YBR125K:20190321212512j:plain

 大楠神社鳥居f:id:YBR125K:20190321214354j:plain

 


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【島内設置の観光パンフより】

大楠コース(県指定天然記念物・樹齢千二百年を超える)

志志島に上陸すると、右に50m進み老人憩いの家(志志島出張所)の角で左に曲がり、人家の中を山側に50mほど登ると直角に右に曲がる。すぐに井戸のある広くなった所で左に登ると、右手の石垣の上に利益院のお寺がある。お寺に沿って登り、右に墓地の中をジグザグに登ってゆく。先生婆之墓を過ぎ、さらに登ると城山の南の峠に達し、50mほど下ると樹高40m根回り12.2mの大楠である。水平コンクリート道は、楠の倉展望台を経て、北浦の海岸に達している。

志々島へ(その3)

島一番の名所「大楠」を目指し、山に向かって歩いていくf:id:YBR125K:20190319100910j:plain

一緒に船を降りた10数人はどこに消えたかと思うほど付近は静まりかえっているf:id:YBR125K:20190319101300j:plain

何の気なしにこの島の10年後を想うf:id:YBR125K:20190319101616j:plain

通路右手のなまこ壁が目についたf:id:YBR125K:20190319103609j:plain

がけ崩れのため参道からはアクセス不可の「利益院」廃寺f:id:YBR125K:20190319102518j:plain

拝殿内の様子f:id:YBR125K:20190319103135j:plain

うち捨てられた木像と燭台f:id:YBR125K:20190319103341j:plain

境内から丸亀市の方角を眺めるf:id:YBR125K:20190319104306j:plain

崩壊部分は雨除けのブルーシートがかけられているf:id:YBR125K:20190319104851j:plain

 

 

志々島へ(その2)

12~3人が志々島で下船したが、ほとんどの乗客が島民かその親族らしく、手に手に飲料水の箱や買い物したスーパーのビニール袋をぶら下げている。

この日の観光客はたぶん自身を含めたおっさん3人のみ

「大楠の島」志々島へようこそ!f:id:YBR125K:20190315173044j:plain

とりあえず「志々島のお墓」に行ってみるf:id:YBR125K:20190315173208j:plain

墓地に向かう道すがら、葉牡丹と菜の花と6体ほどの案山子がお出迎えf:id:YBR125K:20190315173421j:plain

去年訪れた来島同様、現存する住宅は大半が空き家のようだf:id:YBR125K:20190315173604j:plain

墓地が見えてきたf:id:YBR125K:20190315173743j:plain

鮮やかな水色に塗られた屋根f:id:YBR125K:20190315174036j:plain

 木材が腐って崩壊寸前の小屋もf:id:YBR125K:20190315174317j:plain

 屋根の補強のため細紐で板が縛りつけてられているf:id:YBR125K:20190315174602j:plain

墓地のすぐ前には煌めく初春の海があるf:id:YBR125K:20190315174726j:plain

墓地に隣接する句碑

【碑文より】

小野蒙古風、本名寛一 大正二年七月一日
香川県三豊郡高瀬町に生る。
昭和十四年、茨城県の満蒙開拓幹部訓練所に入所、中隊付となりハルピン、嫩江訓練所を経て大興安嶺の麓、蒙古人放牧地帯に入植し、大和訓練所を設立。
その頃、俳句新聞で加藤楸邨の巻頭となり「寒雷」創刊とともに参加す。
昭和二十一年十月、帰国。
而後、新生活とともに県内外の現代俳句界にて活躍、指導的存在となる。 昭和五十五年五月一日未明永眠。享年六十六歳。
生涯、自己の信念を抂げず、俳句とともに濶達に生く。  
   
    昭和五十七年九月二十三日

    設立者 月曜会
        代表  小川津彌
            岩崎邦恵
            曽根保子
            上田マツエ
    後援詫間町長  松田幸一
       草主催  今井誠人
       讃文者  永田敏之

かの嶺に この嶺に野火 よじのぼるf:id:YBR125K:20190318205306j:plain

 両墓制について 

四国新聞ニュースサイト 21世紀へ残したい香川

志々島へ(その1)

たまに吹く風のせいか、3分遅れを取り返そうとしているせいかは不明だが船は意外に揺れ、ときおり波しぶきが顔にかかるf:id:YBR125K:20190314113112j:plain

日本プロパンガスの貯蔵タンク(ブタン&プロパン)が見えてきたf:id:YBR125K:20190314113153j:plain

丸一鋼管㈱詫間工場前に横付けされた鮮やかな色の貨物船f:id:YBR125K:20190314113231j:plain

多度津町の沖合に浮かぶ無人島、亀笠島(きがさじま)f:id:YBR125K:20190314113302j:plain

 志々島が見えてきたが、揺れと波しぶきがますますひどくなってきたので船室に移動f:id:YBR125K:20190314161615j:plain

操舵室の後ろに退避して操船の様子を眺める。

舵輪さばきが心なしか荒っぽいようだが、揺れの原因は風のせいと思いたい。船長が凝視する前窓に波しぶきが激しく打ちつけているためワイパーはフル稼働中f:id:YBR125K:20190314161902j:plain

「お客様へのご注意」f:id:YBR125K:20190314162016j:plain

遅れた3分あまりを取り返して、ほぼ定時の13時5分ちょい過ぎに到着。

宮ノ下港⇒志々島の所要時間は約20分だが日に3便しかないf:id:YBR125K:20190314162935j:plain

 

宮ノ下港

三豊市詫間町の沖合に浮かぶ志々島に渡るため宮ノ下港にやってきたf:id:YBR125K:20190313214321j:plain

粟島汽船の担当者が教えてくれた介護施設前の駐車区画にバイクを駐車、乗船まで付近をぶらついて時間をつぶす

【碑文より】

詫間港大型船係留アンカー

江戸時代初期から塩田の町として栄えてきた詫間町は戦後 町発展の礎を港湾の開発に求め 港の整備と工業団地の造成を進めてきた
このアンカーは旧呉軍港で艦船の係留に使用していたものを昭和45年詫間港開港にあたり大型船係留施設として接地していたものである 岸壁整備によりその役目を終えたが 詫間港の歴史を後世に伝えるため詫間港発祥のこの地に保存する

平成11年3月  詫間町f:id:YBR125K:20190313214651j:plain

「釣り禁止」の注意看板をものともせず、あちこちの物陰に隠れて釣り糸を垂らす常連客?は少なくないf:id:YBR125K:20190313215102j:plain

出港予定時間を過ぎても一向に動き出す気配がないのでいぶかっていたら、顔見知りらしい乗船客を待っていたらしく早く来るよう大声で呼んでいるf:id:YBR125K:20190313215935j:plain

地元民とおぼしきお待ちかねの客が乗り込むやいなや何事もなかったように3分半遅れで出港f:id:YBR125K:20190313220310j:plain

風が少し強いものの昨日までの雨が嘘のような晴天がうれしいf:id:YBR125K:20190313220900j:plain

 

 

 

上山簡易郵便局にて

郵便物を送る用事がわりとよくある。

休日の朝、出かけるついでにどこか道すがらのポストに投函するため郵便物物をトップケースに放り込んで出発するのだが、つい出すのを忘れてしまいそのまま帰宅してしまうこともよくある。

今回も危うく忘れるところだったが、夕暮れ間近い時間に通りかかった国道319号線の道端にある赤いポストが思い出させてくれたf:id:YBR125K:20190308221648j:plain

四国中央市新宮町の上山簡易郵便局f:id:YBR125K:20190308221853j:plain

集荷時間は平日土曜休日を問わず1日1回のみf:id:YBR125K:20190308221926j:plain

googlemapの当地クチコミに考えさせられる

塩塚高原にて

久しぶりの塩塚高原に到着f:id:YBR125K:20190307112544j:plain

天気のいい日は四国屈指の眺望を満喫できるf:id:YBR125K:20190307113323j:plain

黄色い風光風力計に「ライブカメラ」のステッカーがf:id:YBR125K:20190307113542j:plain

東屋の傍らに設置されているf:id:YBR125K:20190307113746j:plain

この画像とほぼ同じアングルがWebで確認できるf:id:YBR125K:20190307113657j:plain

 塩塚高原ライブカメラ※雨の日と夜間は不可