徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

暑中お見舞申し上げます

連日猛暑が続いておりコロナも収まる気配がない。


コロナ蔓延前から極力密を避けて休日を過ごしているので行く先にほとんど変化はないが、愛車YBRは累積走行距離90,000キロを目前にしてキャブレターのオーバーフローとスピードメーター故障が発生した。

多少暇つぶしの意味合いもあり、購入以来13年約9万km使用したキャブレターを実走行距離3,742キロの部品取り用2013年09月式YBR無印のBS25と交換することにした。

この年式のYBR無印はキャブレター本体にチョークレバーが設置されるKタイプと異なり、左手ウインカースイッチ付近にチョークレバーがあるタイプで、左手のスイッチごと移植すれば手っ取り早いが、あいにく転倒により破損してるため現用キャブのチョークレバーを無印キャブの同じ位置の穴にネジを切って移設した。

こちらは取り外したBS25キャブ。チョークレバーは本体にボルト留めされている。下側の黒いのがTPS

さらに、無印のキャブにはTPS(スロットルポジションセンサー)が付いていないためCDIも無印の物に交換した。
もしかしたら、警告灯点滅以外の問題は発生しないかもしれないがものはついでである。

この際、YB&YBRダイアリーの初期型YBR125K KGの点火回路研究の記事を参考にさせて頂いた。

ちなみに、TPS対応CDIをそのまま使うとメーター下中央の警告灯がごくゆっくり点滅を繰り返し消えないので、CDIを交換しないまま運用実験するつもりなら警告灯の電球を抜いておけば気にならない。


続いてはスピードメーターだが、時速65キロに達すると針がブルブル震えて上がらなくなった。去年交換したばかりのメーターワイヤを一応点検してみるがもちろん異常無し。
クラッチも若干滑り気味の上、エンジンパワーも減退中なのでメーターが一回転する10万キロで部品取り車体からのエンジン換装を予定していたが、メーターがそれより1万キロ早く壊れてしまった。

スピードメーター故障は今まで経験がないので、直せるとも思えずこの際アッセンブリー交換してしまおうかと考えていたら、再使用を全く考えていなかった無印YBRのメーターがあるのを思い出した。

部品取り用のYBRは左に転倒した車体なのでスピードメーター側のカバーが割れ飛び、メーター取付部分も破損しトリップメーターのリセットツマミが曲がっていたが、慎重にメーターを摘出した結果、リセット軸さえ直せば使用可能と判断し壊れたスピードメーターと交換。

88,907kmを共にしたスピードメーターを摘出

裏側の様子

取付に不備があったらしくトリップメーターが途中で引っかかって動かなくなる症状が何度か出たため、そのつど分解して大きく曲がっていたリセット軸の調整と取付角度を試行錯誤した結果、問題なく作動するようになった。

取り外したメーターは88,907km、交換した13年式無印オドメーターの取付時距離は3,742km、現在4,929kmなので累積距離は90,094kmということになり、現用のオドメーターが14,835kmになればめでたく10万km到達である。

左右のデザインが違うのでなかなか面白い見た目になった

※YB&YBRダイアリーはYBR運用者のバイブルとも言える雷太氏による画像と配線図等イラスト満載の労作ブログである。ねこのすかんりにん氏のXTZ125ねこちやづけと共に長年愛読しているが、上記サイトを熟読してもなおYBR系バイクの日常整備に不安がある方は中華バイクの自己メンテナンス運用は綺麗さっぱり諦め、最寄りの販売店にて国内正規流通品をお求めになられることを強く推奨したい。

ぎっくり腰

最終更新日からそろそろ8ヶ月になる。
未更新の最長記録を更新してしまったが、毎度のことながら何事もなかったように再開しようと思う。

とはいうものの、当然ながら何事もなかったわけではない。

忘れもしない昨年の6月初めに東みよし町の六地蔵峠を訪れた翌日、自宅でかなりひどいぎっくり腰になった。それまでここ10年ほどの間に2、3度の経験はあったものの、どうも今までとは勝手が違う。なるべく動かないようにして1週間ほど様子見したがたいした改善が見られない。仕方なく整形外科へ行って検査したところ腰椎分離症を併発しているという。中高生時代に野球やバレーボールや空手等、ジャンプや激しい腰の回転を伴うスポーツを入れ込んだ者に多く発症しているらしい。そんなわけで、この1年はそれまで日課にしていたトレーニングの類もほとんどやめてしまった。立ち時間が長くなると腰と左臀部に痛みが出るため、これまでは立ちっぱなしだった業務中もなるべく座る時間を多くするように努めていた。

今年1月初旬、母親と叔母が相次いで亡くなった。
それぞれの葬儀が終わり、母親の納骨をGW中の3日に行うことに決めたが、予定日の前日、前回の発症からからちょうど11ヶ月目にまたしてもぎっくり腰になり、コルセットを着けてなんとか喪主として納骨の儀を執り行った。
その後も腰は重苦しい感じが続いていたが、ここ数日でやっと少し落ち着いてきたようだ…。

久しぶりの京柱峠より祖谷方面を望む

バイクは意外に腰痛持ち向きの移動手段と言える

 

 

定点観察地点

昨年末、小島往復の船内から眺めはしたものの、現地に来るのはほぼ3年振りになる観察地f:id:YBR125K:20211006151504j:plain

天気がいいので対岸の来島の家屋に干された洗濯物が見える

不法投棄されていたゴミが綺麗に片付けられた上、黄色い警告看板が2枚増設されていた。

とは言え、また新たなゴミが…不届き者は跡を絶たないf:id:YBR125K:20211006152430j:plain

 

比和自然科学博物館

今月9日、鳥取方面から帰宅途中に、台風9号通過直後の比和自然博物館に立ち寄るf:id:YBR125K:20210814143609j:plain

庄原市比和自治振興センターの一画にある比和自然科学博物館f:id:YBR125K:20210814143739j:plain

入館料¥310也を支払い展示スペースに入るf:id:YBR125K:20210814143951j:plain

民俗資料はもとより、多岐にわたる動植物標本の数々に目を奪われるf:id:YBR125K:20210814144611j:plain

中国山地の自然と題された小動物と鳥類の剥製f:id:YBR125K:20210814144827j:plain

イタチやキツネや狸f:id:YBR125K:20210814145040j:plain

モグラ類だけでもものすごい数が展示されているf:id:YBR125K:20210814145408j:plain

中でも興味を惹かれたのがこれf:id:YBR125K:20210814145640j:plain

【標本の解説文より】

雌雄モザイク(Gynandromorph)とは、生物においてひとつの個体の中に雄の特徴と雌の特徴を持つ部分が、明らかな境界を持って混在していることをいい、その現象を雌雄モザイク現象といいます。雌雄モザイク現象を持つ個体を「雌雄型」といい、生物の世界では稀に出現しますが、昆虫は身近な存在なので比較的よく発見されます。

 雌雄モザイク現象の原因は、1個の卵子に2個の精子が入り受精したとするなど諸説があり、まだよく分かっていません


全ての雌雄型が体の中央線から左右で違う訳ではありませんが、台湾産のムモンウスキチョウの翅(はね)の模様を見ると、左半分が雄で右半分が雌になっています。
 チョウの場合、翅の模様が雌雄であまり変わらないものより、明らかに異なるものの方が、雌雄型はよく発見されます。

ミヤマクワガタ(雌雄型)の標本を見ると、前足や頭部の形状が右半分は雄の形をしており、左半分は雌の形をしています。クワガタムシの仲間ではきわめて稀に雌雄型が発見されていますが、この標本は1984年に尾道市で捕獲されたものでミヤマクワガタとして全国で8番目の発見例です。f:id:YBR125K:20210814145901j:plain

次がこれf:id:YBR125K:20210814150006j:plain

【標本の解説文より】

チベットで古くに、この菌が冬は虫の姿で過ごし、夏になれば草のようになると考えたことから、「冬虫夏草」と名づけられました。チベット文字の呼称を漢語に直訳したのが「冬虫夏草」です。

世界での種数は千を超えています。

冬虫夏草」は、本当は冬虫夏草菌(オフィオコルジケプス属の菌)が昆虫やその幼虫に寄生し、それを養分にして成長しキノコになったもので、「子のう菌類」の一種です。

カメムシタケはカメムシの成虫に、セミタケはセミの幼虫に、サナギタケは蛾の蛹(さなぎ)に寄生したもので、中国などでは古くから、セミタケなどが薬用や料理の素材として利用されてきました。

 

比婆山連峰で発見されたラトロビウム ヒバゴンについての解説パネルf:id:YBR125K:20210814163028j:plain

【案内パネルの解説文より】

ラトロビウムヒバゴン -ハネカクシの新種発見-

学名:ラトロビウムヒバゴン(Lathrobium hibagon)
和名:ヒバヤマヒメコバネナガハネカクシ(ハネカクシ科)

ハネカクシとは -はねを隠して腹隠さず-

 ハネカクシは、カブトムシやクワガタムシなどと同じ、コウチュウ目に含まれる昆虫の一群である。コウチュウ目の仲間は、背面から見ると硬化した前翅が腹部全体を覆っている。ところが、ハネカクシでは前翅が短くなり、腹部が露出する。短い前翅の下には、飛ぶための機能的な後翅を折りたたんで「隠して」おり、このことが名前の由来になっている。日本からは2,000種超が知られているが、まだまだ多くの新種が発見されると考えられている。しかしながら、体が小さい種が多く、体長1cmを超えることはまれなことや、森林の落ち葉の中などの人目につきにくい場所に暮らしているため、研究は立ち遅れている。

■新種発見の経緯 ~比婆山連峰甲虫調査にて~

 比婆山連峰甲虫調査に参加した当博物館研究員の千田喜博が、ハネカクシの同定を担当した。この際に、ナガハネカクシ属(学名:Lathrobium)のヒメコバネナガハネカクシ種群(brachypterum group)に含まれる種が採集されていることが分かった。このグループの種は森林の落ち葉の下に生息しており、なおかつ地域ごとに違う種類が分布している傾向がある種である。中国地方では隠岐から1種が見つかっていたが、本土側からはこれまで知られていなかった。
 比婆山連峰甲虫調査で得られた標本を詳しく調べ、近隣地域で発見されている種を中心に体の各部の比較検討を行った結果、これまで知られているいずれの種とも異なる特徴を持つ種であった。本新種は香川県から知られる種に最もよく似ているが、交尾器をはじめとした雄の性徴が明確に異なることで区別でき、これまで報告されていない種であると結論付け、日本昆虫分類学会の英文誌にて新種として発表した。

■名前の由来 ~ヒバゴンの名に込めた思い~

 生物の世界には、「国際動物命名規約」という決まりがある。動物の名を決める国際的な約束事で、あらゆる「動物」はこの規約に従って学名を与えられる。そして、与えられた学名は永久に残る。今回発見された新種には、和名としてヒバヤマヒメコバネナガハネカクシ、学名としてLathrobium hibagon(ラトロビウム ヒバゴン)という名が与えられた。hibagonとは、もちろんあのヒバゴン!のことである。ヒバゴンの目撃のあった比婆山連峰は多様な生物の生息地でもあり、その中には本種のような未知の生物も含まれている。この名には、ヒバゴンが暮らしていけるような当地の豊かな自然が末永く守られてほしいという願いが込められている。

■新種を発見するということ
 「新種を発見した」というと、「すごい!」といわれることがある。それは、おそらく多くの人は新種がなかなか見つからないと思っているからであろう。しかし、新種の発見は実はさほど珍しいものではない。日本の昆虫に限っても、年に100~200種程度は新種が見つかっているといわれている。このペースは年々落ちるどころか上昇しており、ほかの多くの生物に関しても同様な状況にある。つまり、この地球上に存在する生物は、我々の想像を遥かに超え、圧倒的に多様ということがいえる。
 この地球上の多様な生物を、未だに人類は把握できていない。その一方で、開発を始めとした人類の活動の影響で、多くの生物が絶滅の危機に瀕している。その中には、人類が存在を知ることなく滅びている種もいると考えられる。新種を発見するということは、人類の知識の体系に新たな生物種を加え、多様性の解明に一歩近づくということといえる。 その多様性を最前線で目の当たりにし、未知の生物に名を与え、秩序立てて整理し、人類の知に組み入れる学問を、分類学という。f:id:YBR125K:20210814163201j:plain

四国カルストまぼろし原水

 トンネル内に高知との県境がある地芳トンネル手前にあるf:id:YBR125K:20210728163331j:plain

成分表f:id:YBR125K:20210728163412j:plain

 すぐ近くを流れる高野川に浸かってクールダウンf:id:YBR125K:20210728164420j:plain

夏場の目的地は徳島県美馬郡つるぎ町界隈と愛媛県久万高原町を選ぶことが多い。

言うまでもなく水に浸かるためである

 久万高原町移住・定住サイト 高原生活

久万高原町の湧水スポット

六地蔵峠

桟敷峠を水の丸方面にf:id:YBR125K:20210604135359j:plain

整然と並ぶビニールハウスの脇を進んでいくと六地蔵峠にf:id:YBR125K:20210604135726j:plain

いにしえ浪漫街道みかもf:id:YBR125K:20210604135842j:plain

石積みに倒れかかったらしく上部が割れた石碑f:id:YBR125K:20210604140131j:plain

【碑文より】

県営農地開発事業水の丸地区竣工記念碑

 水の丸地区は秀峰風呂塔から北に下る半田三加茂西町にまたがり六地蔵峠の稜線部に拡がる
畑作中心の耕作地は狭隘なうえ経営規模は零細であったため収益性も低く集落は過疎化の荒波に洗われる日々が続いた
 こうした状況から脱却をめざした西町精農家の方々の知恵と勇気と熱意によって高冷地野菜栽培に取り組む機運が持ち上がり 昭和四十六年に県営農地開発事業として採択された
 そして 着工以来関係者各位の深い理解と発起人をはじめ地元役員の強力な支援と尽力が支えとなり 幾多の試練と逆境を乗り越え二十三年の歳月を費やし完成したものである
 ここに関係者各位に対し深甚の敬意と感謝の意を捧げるとともに施設を永く後世に伝えるため記念碑を建立するものである

  平成六年四月 水の丸土地改良区f:id:YBR125K:20210604141401j:plain

 東みよし町の文化財 六地蔵峠について

小島大日堂

 徳島県三好市東祖谷和田にかかる第一小島橋のたもとにある四国交通の小島バス停。

1日4便が運行されているf:id:YBR125K:20210603204447j:plain

下を見下ろすと足がすくむ高さの橋上で絡み合う火の用心ののぼりf:id:YBR125K:20210603204920j:plain

←大日堂参拝入口の矢印に従って橋のつけ根を山に向かって進むf:id:YBR125K:20210603205427j:plain

バス停のすぐ近くにある「休憩所」f:id:YBR125K:20210603205552j:plain

4桁のみの電話番号が時の停止を感じさせるf:id:YBR125K:20210603205847j:plain

狭隘な山道を1kmほど進むと赤い奉納幟が両側にはためく参道に到着f:id:YBR125K:20210603210032j:plain

やや小ぶりなサイズの鐘楼が見えてきたf:id:YBR125K:20210603210539j:plain

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中西重行氏奉納の手洗石f:id:YBR125K:20210603210730j:plain

【案内看板より】

阿波は、祖谷、小島というところ清き流れのみなもとは、はるか
雲間の寒峰に発し、鐘の首の漁渕に鳴りをひそめ、にわかに
白泡となってかけくだり、ややあって、祖谷川にそそぐ小島谷
ほとり、在所開いて、小島、里の江、佐野、つずろう、これらを合
わせて小島名という。 いつの頃よりか堂床というところ
(下西家のそば)に仏像をおわせり、朝な夕な里人の願いを一心にあつめ、やがて心の安らぎをめぐみたもう。と これすなわち本尊大日如来である。

光輝普遍 光明遍照 大日の霊験(てんかん・ひきつけ)
あらかたにして むれつどう人々堂城にあふれ思案の果は
衆徒合議藩政末期適地を求めて現在地に移すと伝う
 くだって昭和に入り檀徒の願意動かしがたく、この地にて
梵鐘を鋳造、昭和二年(一九二七)三月二十八日、これを完成
鐘楼に納めしも第二次世界大戦中金属献上の役により
姿を消し、現在のそれは戦後の寄進によるもので、高田市在住
鋳物師老子次右衛門の作なり。    祖谷にては阿弥陀如来
薬師如来はあちこちに拝されるものの大日如来はここ一ヶ所にて広く世人の崇敬をあつめ近郷在住にその比をみない堂宇である。陰暦三月二十八日、七月二十八日を縁日と定め、善男善女の参籠は後をたたず、相撲などの催しもあってにぎやかである。
 願わくば現世の罪科を許しもろ人ともに大光明を与え給え。
             (多川春武先生記) ※原文のまま

大日堂正面f:id:YBR125K:20210603211032j:plain

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境内に佇立する弘法大師f:id:YBR125K:20210603211214j:plain