古城島
【案内看板より】
甘崎城跡は、戦国時代から江戸時代初期にかけての海城です。
考古学的調査によると、遺物は15・16世紀の年代を示し、16世紀が反映の時期と考えられます。戦国時代は能島や来島の村上海賊衆の拠点として使用され、岩礁に見られる柱穴跡は、繋船施設の遺構と考えられます。
また、干潮時に見られる石列は、藤堂高虎が今治城主だった江戸時代に、改修させた石塁の一部と考えられます。
高さ2~3間半(1間は約1.8m)の総石垣が島の周囲を取り囲み、追手口には内枡形の縄張りが見られます。
島内では、建物の礎石や多数の瓦片も見つかっています。
元禄4(1691)年にこの沖を航行したドイツ人医師ケンペルが、海中より聳(そび)える高石垣に驚いています。
それらの多くは、幕末期ころに地元の堤防石垣(塩田など)として使用されたようです。
古城島散策時の注意事項
※古城島周辺は、愛媛県の史跡に指定されています。岩礁、石積み・島肌を傷つけることや、瓦・陶器のかけら等の遺物の持ち帰りは、罰則の対象となりますのでご注意下さい。
※階段、海岸の足元は大変すべりやすいので、転ばないよう充分注意してください。
なお、怪我等の傷害について、当協議会では、一切の責任は負えません。
※火気の使用禁止、ごみの持ち帰りをおねがいします。
上浦地域活性化推進協議会
古城島付近から通りなれた多々羅大橋を眺める
雨雲から逃れて
寒風山トンネル経由で伊野町~高知市方面に行くつもりで西条市までやってきたが、休憩がてら国道11号線のかたわらに停車、高知方面の空模様を眺めると山々は厚いグレーの雲に覆われていた。
かたや瀬戸内側の今治市方面に視線を向けてみると、梅雨間近とは思えないほど青空が広がっている。
そんなわけで、急遽目的地を変更ししまなみ海道方面に走り出した。
大三島の上浦港務所跡にて。手前のスーパーカブは唯一人桟橋で釣り糸を垂れていたおじさんのもの
建物裏手が国道317号線に面しているため、数えきれないほど通過しているが建物の海側は初見になる。
定期連絡船は20年前のしまなみ海道開通時に廃止された
桟橋の向かいに伯方島が見える
雨の気配がない休日は心が踊る
程内の夫婦滝
内子町大瀬北程内(うちこちょうおおせきたほどうち)
頭上を見上げると「ボケ封じ観音像」が見える。
県道側から観音像に直接行ける道はなさそうなので、とりあえず夫婦滝を目指して歩いていく
ゆるゆる回る水車の奥でからくり人形がぎこちなく動いている
渓流に沿って進むと道が二手に分かれる。
ボケ封じ観音への道とおぼしき右手の石段を上る
【碑文より】
夫婦滝公園整備の趣意書
滝の瀬戸は風光明媚な所で、古くから夫婦滝として親しまれ程内老人会を中心に、ボケ封じ観音様を始め絡繰り人形などを作り、地域の憩いの場としていたが、この度地域をあげて、広場や周辺の整備を行った次第であります。
平成十八年十月吉日 程内白寿会
観音像のある高台から県道241号線を見下ろす。
道路に沿って控えめに流れているのは鵜川
分岐まで引き返し滝へ向かう。
間伐したまま放置された杉の木をくぐりぬけさらに歩を進める
それなりに険しい道だが
5~6分も歩けばだんだん薄暗くなってきて滝に到着する
夫婦滝に到着。
赤い橋を挟んで左右に滝がみえる
左右に流れ落ちる滝は双方似たような水量で、どちらが夫でどちらが婦なのかよくわからないが、こちら(左)の方が若干水量が多いような多くないような…
こちらが右側の滝
深山幽谷の趣のある熊ノ滝川の流れを見下ろす。
画面左上付近が夫婦滝へのアクセス道
ボケ封じ観音の足元に咲いていた紫の花
こちらは水車の近くに咲いていた花
日も暮れかかってきたのでそろそろ帰ります