辛の崎
「島根海洋館アクアス」にほど近い江津市の国道9号線から看板にしたがって左折する
【案内看板より】
ごあんない
この歌碑は萬葉集の中、柿本朝臣人麿が妻と別れて京に上る時の歌二首の一つであります。
つのさはふ石見の海のことさへく辛の崎なる
海石(いくり)にそ深海松(ふかみる)生ふる荒磯にそ玉藻は生ふる
玉藻なす靡(なびき)寝し兒を深海松の深めて思へど
さ寝し夜はいくだもあらず
はふつたの別れし来れば
肝向かふ心を痛み念ひつつ顧みすれど
大舟の渡の山の黄葉(もみちば)の散りのまがひに
妹が袖さやにも見えず
嬬ごもる屋上の山の雲間より渡らふ月の
押しけれども隠らひ来れば
天伝ふ入日さしぬれ大夫(ますらお)と念へる吾も
敷妙の衣の袖は通りて濡れぬ
反歌二首
青駒の足掻きを早み雲居にそ 妹があたりを過ぎて来にける
秋山に落つる黄葉しましくは な散りまがひそ妹があたり見む
この歌の中の「辛の崎」の所在については、昔から多くの学者によって論争されてきましたが、昭和三十二年十二月二十四日、萬葉研究の泰斗、京都大学名誉教授故澤潟久孝文学博士がこの地を訪れ、その大著萬葉集釋釈(全二十巻)第二巻に詳しく発表され、以来ここが「辛の崎」であるとする説が有力です。