食事を済ませ、休憩所の建物を出てさっきと反対方向に向け歩いていく。
食事をしながら話した人はここからやって来たのかもと思い室内をうかがうが、蛍光灯は点いているものの人影は見えない。
このあと4時間ほどの滞在時間中、まったく人に会うことはなかった。
自販機のある建物から数軒奥の建物のポスト。
「今治市来島493」と手書きされている
この時、来島城址の本丸跡まで登ってみたが、その後一旦下って東側の海岸で柱穴跡の見物を終えた頃に陽射しが出てきた。
晴天の時の本丸跡からの景観を見るのためもう一度登ったので、晴れと曇りの画像が混在している
矢印にしたがい所々崩れかけた石段を来島城址と心月庵めざして登っていく
心月庵の入口にほど近い場所から案内板のあった付近を見下ろす。
島に暮らす世帯は、各家庭の菜園で多種多様な野菜を栽培していた
拝殿に奉納された村上(北畠)師清(むらかみもろきよ)の画像。
能島村上家、因島村上家、来島村上家の祖とされている
同じく村上通康(むらかみみちやす)
神社周辺には芸予地震と数年前の台風被害の痕跡が残る
村上神社は二の丸跡にほど近い場所に位置する。
八千矛神社と同じくこちらの本殿も四隅を鎖で固定されている
データベース『えひめの記憶』より伊予水軍の活躍