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野田院古墳

野田院古墳は大麻山キャンプ場の一画にある

【案内看板より】

野田院古墳 (3世紀後半)

野田院古墳は大麻山北西麓のテラス状平坦部(標高405m)という非常に高い場所に築かれた、丸亀平野周辺部で最古式の前方後円墳です。
その規模は全長44.5m、後円部21.0m、後円部の高さ2.5m、前方部幅13mで、前方部は盛り土、後円部は安山岩塊の積石によって築かれています。
また、前方部はくびれ部が細く締まり、先端が撥形に開く発生期の前方後円墳の特徴を示していることなどから、3世紀後半に築造されたと考えられており、最初にこの地に登場した首長の墓ではないかと考えられています。
市内には他にも、大窪経塚・大麻山経塚・大麻山碗菓子椀貸塚・丸山1号、2号墳などの積石塚がありますが、この古墳群は坂出から綾歌の積石塚を経て、高松の岩清尾山古墳群と連鎖することが知られています。つまり、この古墳は積石塚古墳の発生や変遷を研究し、当時の讃岐の地域集団関係を知る上で非常に貴重な遺跡なのです。

※古墳保存のため、石を動かさないようにして下さい。

善通寺市 平成4年度

後円部を横から見る

古墳全体を俯瞰できるよう設置された展望台

【展望台に設置された案内看板より】

野田院古墳か造られた時の集落は今の善通寺市街の辺りで、その標高は約30m、野田院古墳は標高400mにあり、全国で最も比高差のある場所に造られた古墳としても知られています。付近には視界をさえぎる山も少なく、古墳からは丸亀平野、三豊平野、瀬戸内海はもちろんのこと、遠く吉備(岡山)・安芸(広島)・伊予(愛媛)まで展望できます。よく晴れた日には瀬戸大橋のみならず、しまなみ海道(因島大橋)も見えます。

後円部を上から見下ろす

【以下解説はすべて現地の案内看板に拠る】

後円部発掘調査時の航空写真(平生12年度)

後円部の輪郭がはっきり見えます。中央には2基の竪穴式石室が見えます。前方部には石が葺かれていますが、内部が土なので全体が草で覆われています。

墳丘実測図

傾斜部での後円部内部検出状況(平成13年度)

野田院古墳後円部の内部構造模型
Cross-section Model of Stone Mound

善通寺市では昭和57年度に実施された王墓山古墳の緊急発掘調査を契機に、市内の代表的な6基の古墳が有岡古墳群として国の史跡に指定されました。そして、昭和61年度から平成3年度まで王墓山古墳の、平成4年度から幣制年度まで宮が尾古墳の保存整備事業を実施しました。
続けて平成9年度から平成14年度にかけて野田院古墳の保存整備事業を実施しました。野田院古墳は石を積んで造った前方後円墳です。
このような古墳は積石塚と呼ばれており、香川県を中心に瀬戸内海沿岸部に多く分布していますが、内部構造まで解明するような大規模な発掘調査や解体復元工事は国内でも初の試みでした。

もとの姿をとどめる部分をできるだけ残すため、墳丘の調査は解体修理を行う範囲に限りましたが、これまでに知られていなかった優れた土木技術や知識によって造られていることが判明しました。
一番驚いたことは斜面部分の基礎の構造です。
後円部は平らに整えられた尾根の上から一部急な斜面にかけて造られています。
平坦な部分の内部には小型の石材を詰めていますが、傾斜部では内部に詰めてある石材は比較的大きく扁平なものが多く、地山と逆の向きに連続して立て、整然と配置しています。
これは傾斜部分の石材が下方に滑り出すことを防ぐことが目的と思われます。傾斜部に石材を積み上げた時に、崩れにくい積み方を知っていたようです。このような工法で後円部の基盤が丈夫に造られています。左の石貼りはその断面模型です。
調査では構築の工程まで知ることができ、そこで得られた資料によって野田院古墳を構築された当時の姿を蘇らせることができました。

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