徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

山崎ダム〜道の駅霧の森その2

国道439号線から大豊IC手前を県道5号線方面に左折。
土佐北街道をひたすら進んで峠を越える。
しばらく走ると、やがて「道の駅」霧の森の赤い吊り橋が見えてくる。

日暮れ間近なので第一駐車場はガラガラ。
てっぺんに五重塔と同様の相輪が付いた不思議な意匠の吊り橋が、バブル期の新興宗教施設のような雰囲気を与える。

手作り感が横溢する左右確認の看板。
横断歩道を渡り、ガードレールの隙間から赤い吊り橋に続く遊歩道を降りてゆく。

週末や祝祭日は駐車場が満杯になるほどの盛況振りらしいが、平日の夕方ともなると人影はまばら

吊り橋を渡る

橋を渡ると左手に霧の森温泉、右折して遊歩道を下ると霧の森レストランがある。とりあえず軽く温まってから付近を散策する。

霧の森温泉の右手奥にまわり込む。新宮ICループ高架の真下に設置された巨大な観音像。
※画像クリックでオリジナルサイズを表示

観音像来歴(観音像の傍らにある石碑より)

過疎に悩む新宮村は、高速道の開通を契機
に、観光交流立村を目指して施設「霧の森」
を整備、熊野に繋がる村史に因んで、学者の
提案した「観音文化」を開発テーマとし、そ
のモニューメントとして、この像を施設内に
設置した。
事業は平成七年から四年間、高橋仗 、法橋
信一の両村長に亘って継続されたが、平成九
年この像が、政教分離を定めた憲法に違反す
るなどを争点に、前記両村長らを被告として
住民訴訟が起こされた。裁判途中前村長高橋
仗氏は、不幸にも病歿、同夫人高橋雪子氏ら
の相続権者に引き継がれた中で、平成十三年
四月原告住民の勝訴となる、被告人ら相協議
して、控訴せず一審判決を受け入れ、金千八
百余万の弁償金を村に納付して終結した。
 以上の経緯から石像は、村から弁償金支払
者に譲渡され、その者の責任で村有施設から
撤去し、これを本会が継承して、同年八月こ
のところに移設建立したものである。
敗訴した被告らは、「自ずからは固より、こ
の事業を実施してきた新宮村も共に、この像
をもって宗教活動を意図したものではなく、
ひたすら村の観光発展を願ったものに、外な
らない」と、主張してきた。「観光施設とし
て観音像を建立し、宗教行事が伴わない限り
法に抵触しない」とする、行政庁の指導解釈
も現存するが、ここを訪れた多くの人々が、
この一連の成り行きを、どう感じとったであ
ろうか。
 この地は太古の官道南海道山背駅所在の地
域、江戸時代は土佐藩馬立本陣の館地、そし
て今、高知自動車道新宮ICの立地する所、
悠久の時代を交通の要衝としてきたこの地に
、その名を「新宮街道観音」と付して、保存
し開眼する。
 願わくばこの観音が、街道の安全と共に、
人心に安らぎを与え、慈愛を呼び、この村落
が融和協調のもと、平穏に栄え行くことを念
じて碑文を閉じる。

平成十三年八月吉日
観音像を継承し保存する会

新宮街道観音の正面にあるイベント広場

イベント広場からIC高架と観音像を望む

イベント広場出口より吊り橋の主塔を望む。

レストランへ続く遊歩道。

再び橋を渡って対岸の駐車場へ向かう

緩やかな勾配の遊歩道を登りきると道の向こう側に「志の道」の石碑。
有馬 朗人は、物理学者、俳人、政治家で文化勲章受章者。

「志の道」解説看板

駐車場奥の墓地へ続く石段途中より第一駐車場を望む