徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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鋳銭司郷土館とその周辺

大村益次郎の墓を見学後、鋳銭司郷土館に到着。

郷土が生んだ幕末の英雄大村益次郎と、古代貨幣の鋳造所だった鋳銭司の資料館「鋳銭司郷土館」

【館内解説文より】
弘化3年、22歳の益次郎は緒方洪庵適塾に入門します。全国から集まった塾生は主に2階の大部屋で共同生活を送りました。与えられるスペースは1人1畳。毎月末に席替えがあり、成績上位者から好きな場所を選べました。壁際になると昼でも暗く、夜寝ていると人に踏まれます。夏は暑くみんな真っ裸、部屋のふき掃除は月1回、顔を洗った盥でそうめんを食べるなど、塾生たちは衛生には無頓着でしたが、学問においては緒方塾生の右に出るものはないというほど勉強熱心でした。

村田蔵六と名乗っていた頃の箱提灯とその収納袋(実物)が展示されている

「高千五百石永世下賜の宣旨」

「兵部大輔(ひょうぶたいふ)任命の宣旨」

鋳銭司郷土館からほど近い場所にある大村神社
祭神はその名の通り大村益次郎その人である。
「すぜんじ史跡ウォーキングマップ」によれば、明治5年に墓のそばに建てられていたものが昭和21年に移築されたとのこと。

【境内の記念石碑の碑文より】

花神 

周防鋳銭司村の人 村田蔵六を偲ぶ 司馬遼太郎

防長の山河の美しさは天下に比類がない。萩の海辺の島々は夢の国のようであるし、山々をめぐる丘のたたずまいの優しさはどの土地にもない。
「防長の山河は優しいのです」
蔵六はいう。蔵六のおかしさは、その優美ななかでも第一等の地は、
「この鋳銭司村です」
と、おのれの生れ在所を誇ったあたり、お琴がきいていても滑稽であった。
(小説「花神」より)

鯉のぼりのはためく鋳銭司郷土館玄関付近から対岸の長沢ガーデン方向を眺める