錦帯橋と吉香公園その4
【碑文より】
石の翼 岩国ライオンズクラブ20周年記念
日本人の心の深層には
物と語り合える優れた感性がある
その上に
自然の恵みを共有する思いやりがある
澄川喜一
立志の碑
元東京学芸大学長 彫刻家 澄川喜一先生のことば
昼食を終えた小学生達がそこかしこではしゃいでいる
自宅を出発して以来、今日まで空を支配していた青が徐々に灰色に変わってきた
広大な園内をロープウェイ乗り場に向かって歩いていく
ロープウェイ乗り場の手前にある柏原美術館
お勧めのセット券は錦帯橋入口で購入済
次の便までは10分待ち
さすがに発車間際になるとどこからか集まった乗客によりこのゴンドラが満員になった
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)を見下ろしながら岩国城に向かう
ゴンドラ内で頭上を見上げると疫病退散のアマビエが
錦帯橋と吉香公園その3
公園手前に立つ吉川広嘉公像
【案内看板より】
吉香公園 Kikko Park
江戸時代に岩国を治めた吉川家の居館跡地に整備された公園で、「日本の歴史公園百選」に選定されています。
春は梅や桜にボタン、お堀沿いにはツツジが咲きそろい、夏は花菖蒲、アジサイ、秋には紅葉など四季折々の植物が楽しめます。
「さくら名所100選の地」の碑
公園利用に関するお願い
この付近にはほとんど人影がないが、遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
遠足に来たと思われる小学生達の一団が、思い思いの場所に別れて座り弁当を広げていた
とりあえず吉川家墓所に行ってみる
【墓所入口の案内タイルより】
岩国藩主 吉川家墓所は、岩国藩3万石(後に6万石)を領有した吉川家一族の墓所です。
墓所内には、6代藩主経永(つねなが)を除く藩主の墓と妻子の墓や石灯籠・手水鉢があり大名の墓所を知る上での貴重な史跡として、昭和63年(1600)の「関ヶ原の戦」以後、約270年にわたり、岩国藩主を継承しました。また、その一方で岩国文化の発展にも力をそそぎ、岩国の基礎を築き上げました。
岩国市
吉川家納骨堂
【納骨堂入口の案内タイルより】
吉川家の移り変わり
■安芸(広島県)吉川家
毛利元就の次男 元春
勇猛な武将 元長
■岩国藩吉川家
藩の基礎をつくる
初代広家 慶長5~19年(1600~14)
経済力を強化する
2代広正 慶長19~寛文3年(1614~63)
文化を発展させる
3代広嘉 寛文3~延宝7年(1663~79)
最も安定した時代
4代広紀 延宝7~元禄9年(1679~96)
2歳で藩主になる
5代広逵 元禄9~正徳5年(1696~1715)
藩の財政が悪化する
6代経永 正徳5~明和元年(1715~64)
徳山藩からの養子
7代経倫 明和元~寛政4年(1764~92)
財政改革を行なう
8代経忠 寛政4~享和3年(1792~1803)
在職3年で死去
9代経賢 亨和3~文化3年(1803~06)
財政改革が成功する
10代経礼 文化4~天保7年(1807~36)
財政改革を引き継ぐ
11代経章 天保8~14年(1837~43)
長州藩を助ける
12代経幹 弘化元~明治元年(1844~68)
最後の藩主
13代経健 明治元~4年(1868~71)
土壁で区画されている墓所は珍しい
錦帯橋と吉香公園その2
錦帯橋を渡り切って公園方向に歩いていくと、お土産店や食事処が見えてくる
ソフトクリーム・お食事処 むさし
甘味処 佐々木屋小次郎商店
山口名物瓦そば 長州屋
腕時計を見ると11時50分。
人のいない瞬間を狙って撮影したわけではない。
観光地や飲食店が被りつつある甚大なコロナ被害が見て取れる
錦帯橋と吉香公園その1
午前10時過ぎに錦パレスを出発、かなりゆっくりしたペースの車列に加わり錦川沿いの国道434号~187号線をダラダラと下っていく
1時間ちょうどで河川敷の無料駐車場に到着
河川敷から錦帯橋を望む
遊漁者の皆さんへ
【掲示板より】
岩国市民憲章
錦帯橋に象徴される美しいまち岩国
わたしたちは この地を愛し ふるさとが育てた偉人を学び
教養を高め 誇れる岩国を築き 引き継ぐために この憲章を
定めます
大切にしたいもの
それは みんなの夢 みんなの命
守りたいもの
それは 豊かで美しい自然
伝えたいもの
それは 歴史や伝統 文化の薫り
広げたいもの
それは 世代や地域を超えた人の和
創りたいもの
それは 岩国の輝かしい未来
(平成23年1月1日制定)
【案内看板より】
錦帯橋 Kintaikyo Bridge
第三代岩国藩主吉川広嘉により1673年に創建されました。代々続く木組みの技法で架け替えが行われている世界最大級の木造アーチ橋です。
春は桜、夏は鵜飼、秋は紅葉、冬は雪化粧と、四季折々の色彩豊かな背景とともに楽しむことができます。
1922年に国の名勝に指定されています。
ちなみに河川敷駐車場は無料
幼稚園児の頃に来たおぼろげな記憶があるが、憶えているのは母親と叔母に手を引かれて橋を渡った一瞬の記憶だけ
橋の上から見下ろすと川面には漁師の姿が
足の向くままに
2日連泊で見慣れたホテル周辺の景色もこれで見納め
10時少し前に「ホテルニュータナカ」をあとにする
足と気の向くまま走ったせいでどこをどう走ったのかよく覚えていない。
今日の最終目的地だけは雙津峡温泉に決まっているもののそれ以外はまったく白紙で地域の予備知識もない。
本来、この状態が自分にとって理想的な旅のスタイルで、以前はほぼ常にこんな感じだったのを思い出す
国道187号線沿いにぽつんとあるバス停で休憩
いつの間にか島根県に来ていたらしい
1日4便のみのバス時刻表
食事処はおろかコンビニさえまったく見かけなかったので偶然見つけたスーパーで弁当と飲み物を購入
「何時までに✕✕の場所に」は仕事だけで充分だと思うものの、日常のルーティーンはたった数日間の旅行中に抜けるものではない