徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

出石寺付近その3

山門をくぐると正面に護摩堂が見えてくる

護摩堂に吊り下げられた小ぶりな銅鐘

【案内看板より原文のまま】
「銅鐘」(国指定文化財文化財)

この銅鐘は、総高八十九センチメートル、口径五十五センチメートルで、竜頭の傍に円筒形の旗さしの部分が付けられ、三列三重のち乳の間を設け、これを包んで方形に唐草、蓮弁の文様が配されている。下部の鐘腹には中央に坐像をおき、これの両面から鳳凰二体を配した優雅な文様が鋳出されており、円熟した大陸的様式を見ることができる。
朝鮮の高句麗王朝時代の製作であるこの銅鐘は、○○(画像から判読できず)装飾、音響などの何れの点から見ても、梵鐘としてほとんど完成の行きに達している。

長浜町教育委員会

護摩堂の右手にある納札所とかなり大きな客殿を脇目遣いに見ながら本堂に向かう石段を上る

石段を登り切った左手の片隅に設置された石の円形テーブルを真上から撮影。
快晴の日にはこの場所から眺望が期待できるのだが…

中国大陸から飛来する汚染物質PM2.5のせいでほとんど何も見えない。この有様ではマスク無しでの走行がやや不安になってくる。

【案内看板より】
御手びきの鹿銅像由来

金山出石寺の開創は…
元正天皇の御代養老二年(七一八)六月十七日であります。
宇和島郷の猟師作右ヱ門が一日狩りに出て、一匹の鹿を見つけ後を追う中、遂にこの山に迷い込んでしまいました。
すると突然暗雲低迷天地鳴動し光明赫々と輝き、鹿の姿はかき消すように見えなくなりました。作右ヱ門はあまりの恐ろしさに大地にひれ伏していましたが、鳴動もやみ静かに顔を上げると先程の鹿の姿はなく鹿の立っていた足許の岩が真二つに割れ、暗雲の中より一條の光に照し出された御佛、千手観世音菩薩のお姿が地上に湧出し金色燦然たる光を放っていました。
作右ヱ門は、殺生を業とする生活を懺悔し妻子に別れ佛門に入り、名を道教と改め佛像傍に庵をかまえ一生をささげ送ったのであります。以上が金山出石寺開山縁起ですが作右ヱ門は正しく鹿に導かれて観音様との御縁を戴いたのであります。
今回観音様の御慈悲を慕い御手引鹿の徳を讃仰して永く後世に伝えんがためこの銅像を建立した次第です。

昭和五十三年六月吉日

【案内看板より】

市指定 史跡
金山出石寺 本堂

この本堂は昭和十六年の火災後に再建されたもので総欅造り(そうけやきづくり)、屋根は銅板葺きで、反りがあり荘重な感がある。
本堂には宇和島七代藩主伊達宗紀(だてむねただ)筆の観世音の額がある内陣には、本尊の木彫千手観世音菩薩像があり毎年一月三日に開帳される。
元来、本尊は自然湧出の銅仏といわれている。
この一帯は瀬戸内海国立公園の一部となっており多くの参詣者がある。
昭和三八年二月一日 指定
八幡浜市教育委員会

金山出石寺本堂

本堂正面を通り過ぎた行き止まりにある奉納石碑の中に懐かしい友人の亡父の名を見つけた。