徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

東みよし町の歴史民俗資料館にて

突然鳴り始めた雷鳴に脅かされ、しぶしぶ荷物をまとめて貞光川河畔での昼寝を予定より早く切り上げ「ゆうま温泉」に向かうも予想通りの振替休業日。

天候が不安定な上、この時間からだとこれという行き先もないので、以前立ち寄った際に改装中で入場できなかった東みよし町にある「町立歴史民俗資料館」に寄ってみる。

窓口で見学希望の旨を伝えると、薄暗かった展示室内の蛍光灯が慌ただしく全点灯。連休明け昼下がりの来客がめったにないのを見こした省エネモード営業なのだろう、30分ほどの滞在時間中に他の来客は皆無だった。

展示室入口の正面に展示された「三番叟まわし人形」

画像右より
恵比寿(豊魚・豊作・商売繁盛等、福の神にあやかることを願う)
三番叟(黒式尉・こくしきじょうという翁面をつけて幕開きを祝って舞う)
黒式尉(年老いた翁の面であるが神格化され普段は神棚に祭られていた)
白式尉(年老いた媼(おうな)の面であるが神格化され普段は神棚に祭られていた)
翁(白式尉(はくしきじょう)という翁面をつけて舞い平和・安全・穀物の豊かな実りを願う)
千歳(翁の露払い(先導)役)

【ガラスケース内の解説文より】

三番叟まわし人形

東みよし町には、昭和16年頃まで「三番叟まわし」をしている人が多くいましたが、終戦後は少なくなり、平成13年(2001)に最後の一人が亡くなり、徳島県独特の貴重な無形文化財である三番叟まわしはこの町から消えました。

また、「三番叟まわし人形」は神格化され普段は三番叟棚に安置され取り扱いは家主に限られていました。

しかし、中内正子さん(阿波木偶箱まわし保存会会長)が、最後まで行っていた芸人に弟子入りし、その技術や門付先(かどづけさき)を受け継ぎ、現在も伝承されています。

展示している三番叟は、東みよし町の有志の方より寄贈されたものです100年余り前より使用されており、状態も当時のままです。

三番叟まわしは、昔淡路島から伝わったといわれていましたが、東みよし町での始まりは不明です。また、この三番叟まわしは式三番叟の変化したものであるといわれていました。

主に、正月儀礼として民家に迎えられる門付芸で、大晦日になると土地の産土神社(うぶすなじんじゃ)に奉納し、廻る地域を決めていました。昔は入札によっていたようですが、後には順番に地域を廻るようになりました。

除夜の鐘の鳴り始めとともに二人一組になり、前後一荷にした三番叟櫃を肩に出かけます。家に着くと家人より半紙をもらい、独特の御幣(ごへい)を切り荒神(こうじん)に祀り、一人が鼓をたたき時には拍子木を打ち、他の一人が詞章(ししょう)を朗唱しながら「千歳・翁・三番叟・恵比寿」の順に木偶(でこ)をまわし「天下泰平・家内安全・五穀豊穣・商売繁盛等」を予祝(よしゅく)しました。

また、希望があれば井戸・家畜小屋・田畑等を祈祷し清めたり、鍬初めや新築時の地鎮祭等に迎えられたりもしました。

謝礼は米や餅が多かったようですが、金銭の場合もあり、範囲は県内のみでなく、県外を廻る人もいました。

黒式尉(年老いた翁)と白式尉(年老いた媼)の面。
いずれも神格化され普段は神棚に祭られていた

ガラスケースを背面より撮影

東みよし町の文化財 三番叟まわし木偶について