徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

妄想的僻地住まい

人のいない場所が昔から好きだった。

過疎が進む祖谷や久万高原町の山の中を徘徊するたび、その場所に住んでみたい誘惑にかられる。

もちろん豊かな自然が魅力なのはいうまでもないが、それに勝るとも劣らぬ理由は隣近所に家がない、もしくは人の住んでいる家が近隣にない状況の家に住めるということに尽きる。

現在の自宅も市街地にあるわけではなく、明らかに田舎といえる場所にあるのだが、それでも家の裏手は他家の庭を挟んでその玄関先があるのでそれなりに気を遣っているし、そのさらに裏手にも数戸の家屋が建っている。

ほんの10数戸程度の集落?ではあるが、夜10時過ぎともなると、週1~2回のペースでわめき合う夫婦喧嘩の声、自宅ガレージに到着しエンジンを切る瞬間まで得体の知れない重低音を撒き散らす軽乗用車、日も明けきらぬうちから庭木剪定のためのビケ足場のパイプを音高く叩きながら組み立てる者などもいてなかなかに賑やかだ。たまたま窓から外を覗くと、相性の悪い住民と眼が合うこともなくはない。

とはいえ、多少常識を逸脱した程度の生活音はよほどのことがない限り気に留めないようにし、嫌なことはできる限り無視するように心がけてもいる。
どちらかといえば付き合いはいい方ではないが、年2回の一斉大清掃は欠かさず参加、やむを得ず役員的な役割が回って来たときは求められる最低限の役目は果たしているので、実際の本性よりは変わり者であると認識されていないと考えているが、仕事以外の労働は出来れば何もやりたくないのが偽らざる本音である。

贅沢を言えばキリがないが、自分が理想とする住み家は、風呂上がりに素っ裸で外に出て涼んでいても警察に通報されず、誰にも見咎められない程度の閑散地であることに加え、自身が自主的に希望する以外のいかなる役割も強要されない地域であることが望ましい。

妄想は限りなく膨らむ一方だが、今の家を引き払っていきなり引っ越すなどは現実的にはほぼ不可能であることは認識せねばならぬ。
一番のネックになるのは仕事場への通勤であり、正直なところ祖谷・久万高原町のどちらに引っ越した場合でもかなりの早起きを要求されることになり、通勤疲労を癒やすことのみに休日を費やされる状況が目に浮かび、膨らんだ妄想はたちどころに萎んでしまった。


こうなれば気分だけでも味わおうと久万高原町の空き家バンクで野中の一軒家に近いと思われる物件を調べてみると、国産高級車1台分、モノによっては軽自動車以下の金額で買えるものもあり、またまた気分が高揚してきた。

 久万高原町空き家バンク 

世間では卒婚なる事象が流行っているし、この勢いで適当な物件を購入した暁には、休日前夜はバイクで山奥の「別宅」を目指して走り、一泊二日の一人暮らしを思う存分満喫、自宅に同居する女性軍の機嫌を損ねた場合の避難所としても適宜利用…等々色々な活用方法が思い浮かんだが、物件購入の是非を含めはたして許されるものかどうかは別の問題である。